んがへられ》候。
村々の者呉々も善道に心を持ちて、心のあらん限り誠実に互に世話致し可申やうに、話するの要あり。東京御婦人の慈善心の厚き誠に誠に天の父天の母の如くにて候。呉々もありがたく奉存候」
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忘れ得ぬ翁の独語
田中翁の手紙にあつた「東京御婦人の慈善心云々」と云ふのは、翁の直訴前に出来た「鉱毒地婦人救済会」のことだ。三十五年の二月の或日、この救済会の潮田千勢子と云ふ老女が食物衣服など車に輓《ひ》かせて、鉱毒地の見舞に出掛けた。僕も一緒に行つた。潮田さんは六十であつたらう。この日は船津川高山など云ふ被害の劇甚地を廻つた。大雪の翌日で、日は暖かく照つて居たが、殆ど膝へまで届く雪の野路を、皆な草鞋《わらぢ》ばきで踏んで歩いた。田中翁が例の黒木綿の羽織に毛繻子の袴を股立高く取つての案内役だ。案内役とは言ふものの、かく一軒々々訪問して、親しく人々家々の事情を聴いて廻はると云ふことは、この人にしても始めての事だ。
潮田さんの秘書役をして居た松本英子と云ふ婦人記者が一々|委《くは》しく書きとめたものがある。今その二つ三つをこゝに載せる。
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