鉱毒の為め居りませぬ故か、一と声も聞きませぬ。卯の花も咲きませぬ。蟷螂《かまきり》や、けら、百足《むかで》、蜂、蜘蛛等が夥《おびたゞ》しく居りました。土蜘蛛と申しまして木の根や垣根などに巣の袋をかけて置きましたが、鉱毒地には、只今一切居りませぬ。」
「芒種五月の節に相成りますると、野にも川にも螢が夥しく居りまして子守や子供衆は日の暮を待ち兼ねて螢狩りに行きましたものでござりますが、鉱毒の為め少しも見えませぬ。此節に到りますると、大麦は丈五尺位ありました。並みの馬につけますには、余程高く付けませぬでは、穂が引きずりました。一反で三石四五升位とれました。小麦も丈が四尺余もありました。一反で二石五斗位は取れました。菜種も丈が六尺以上ありました。一反で一石八九升まで取れました。朝鮮菜と申しまするは、丈が七尺以上ありました。一反二石以上とれました。辛子は丈が八尺より九尺位ありました。一反で一石以上とれました。下野国足利郡吾妻村大字小羽田は、関東にても有名の肥土でありましたが、只今は鉱毒被害の為め、何も生えませぬ。」
「処暑七月の中の節。土用明けてから十日もたちますると渡良瀬川、朝日出づる頃よりし
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