石像の如き態度に、彼を取り囲んだ被害民は、悲憤の余り、悪言毒語、その無情冷酷を罵つた。
その夜汽車が上野へ着くと、榎本は停車場から馬車を直ちに大隈邸へ向けた。
二十四日、議会の最終日で、大隈外相の演説があり、極めて多忙である中を、田中は無理やり演壇に立つて、鉱業停止を叫んだ。彼はその長演説の最後に於て言を更《あらた》めて議会へ訴へた。
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『諸君にお願ひ申して置きます。成るべく鉱毒地を御覧になつて戴きたい。被害地は東京から二十里そこらしか無い。政府から誰が往つて見た。誰が往つて見た。見ないで居てからに、卓子の上で勝手な人間の報告ぐらゐ聴いて置いてどうするのでございませうか。――
未だ議論は結了しませぬけれども、これで止めます。如何にも憤慨に堪へませぬ、十万以上の人間が毒殺される――(議席に笑ふものあり)諸君の中にはお笑ひなさる御方もございますが、どうも私の力ではこの真状を写し出することが出来ませぬ。御笑になる御方があるから、尚《な》ほ一歩進んで言はなければならぬ事が出来て来ました。農商務大臣の向島の別荘で菜が一本出来なくなつたら、諸君どうする。忽ち自分の頭に感ずるのである。失礼ながら早稲田の大隈さんのあの綺麗な庭が、草もなく花もないとなつたら、諸君どうであるか。自分の身の上に来ればわかるけれども、身の上に来ない中は頭に懸けない。この上尚ほ彼此《かれこれ》面倒な事を申して居りますならば、鉱毒の水を汲んで来て、農商務大臣に飲んで貰ひませう。早い話である。なか/\これくらゐの話で実際の有様を写し出すことが出来るものでございませぬ。どうぞ諸君、御情がありますならば、一日で行つて帰られます。日帰りでも見られます。丁寧に見るには十五日もかゝるが、一個所ぐらゐ見るには、一日で往つて見られますから、どうぞ諸君、此の被害地の模様が、私が嘘をつくのであるか、山掛けなことを申すのであるか御一見下されば相分ることでございます。今の政府は、到底親切なやり方をする政府で無いと認め、この答弁書の有様を見て、残酷なる愚かなる、何とも名の付けやうの無い政府であると断念致しましてございますから、政府を頼まぬ決心でございます。宜しく諸君、この被害地を御一見下さる事を御願ひ申します。是非これを御願ひ申します』
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田中の演説が済むと、政府は「足尾銅山鉱毒調査会」新設の官制及び委員任命の件を、議会へ発表した。昨夜、榎本が大隈を説得したのだ。
二十五日、議会閉院式。
二十八日、榎本は責任を引いて農商務大臣を辞した。
三十日、宮内省からは、広幡侍従が鉱毒地視察。
四月九日、内務大臣樺山資紀の鉱毒地視察。
五月廿七日、鉱毒防禦工事命令書が鉱業人古河市兵衛へ達せられた。
田中正造は、「鉱毒防禦」を要求したのでは無い、「鉱業停止」を求めたのだ。
政治生活の断崖に立つ
明治三十二年の春、議会が議員の歳費増加案を通過し、田中正造が歳費辞退の已むなき境界に立つた時は、即ちこの人の政治的生活が既に断崖に近寄つた時である。これを知る為には当年政治界の外観を一瞥するの必要がある。一と筆書きにして見たい。
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一、伊藤博文、憲法制定の功労者。一身同体の親友井上馨、その背後に三井。
一、大隈重信、改進党の創立者、背景が三菱。
一、山県有朋、非議会主義の代表者、陸軍の首脳。
不思議なる運命は、二十三年、この人の総理大臣時代に帝国議会が始めて開かれた。明治廿五年、乱暴なる選挙干渉を行つた内務大臣品川弥二郎はこの直系。
一、日清戦争後、二十八年冬、伊藤内閣は議会に臨むに当りて自由党と提携。議会閉会の後自由党の強要にて党首板垣退助入閣。
一、伊藤内閣は、外務大臣陸奥宗光病気辞職、且つ戦後財政の為め有力な大蔵大臣を要する為め、松方正義大隈重信の二人を入閣させようとしたが、板垣固く大隈を排斥して成立せず。伊藤内閣総辞職。
一、元老会議の推薦にて、二十九年九月十八日、薩閥及進歩党提携の、新内閣成立。
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総理大臣兼大蔵大臣 松方正義
外務大臣 大隈重信
内務大臣 樺山資紀
海軍大臣 西郷従道
拓植大臣兼陸軍大臣 高島鞆之助
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薩派の非立憲的行動、進歩党の猟官的運動、両々相容れず、三十年十一月、進歩党提携を断ちて大隈辞職、鉱毒防禦工事を始めて古河市兵衛へ命令したのはこの時だ。
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一、同十二月廿四日、第十一帝国議会開院式。
廿五日、進歩党自由党連合して松方内閣不信任決議案提出。衆議院解散。
廿八日、松方首相辞表提出。
三十一年二月十日、伊藤博文、
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