終わり]
明治廿四年四月廿二日[#地から2字上げ]地質調査所
仕方が無いから、農科大学の古在教授へ依頼した。やがて教授から次の返事が来た。
[#ここから1字下げ]
過日来御約束の被害土壌四種調査致候処、悉《こと/″\》く銅の化合物を含有致し、被害の原因全く銅の化合物にあるが如く候、別紙は分析の結果及被害圃の処理法に御座候、不具。(別紙略)
[#ここで字下げ終わり]
六月一日[#地から2字上げ]古在由直
国会開設の前後
明治二十四年十二月十八日、代議士田中正造は、第二議会へ始めて「足尾銅山鉱毒加害の儀に付質問書」を提出して、茲《こゝ》に足尾銅山鉱業停止の火蓋《ひぶた》を切つた。
田中正造の鉱毒事件史を進める前に、僕は、憲法或は議会に対するこの人達の信念に就て、一応君の理解を得て置く必要がある。今や立憲政治は一般嘲笑の具と化して居る。然れ共田中正造など云ふ人達は、立憲政治は自分等の汗と血とで建立したものだと云ふ篤《あつ》い自覚を持つて居た。従つて議員と云ふものの重大な責任を深く知つて居た。明治十三年、彼は群馬栃木両県民六百八十名の連署した国会開設の請願書を携へて、元老院へ出頭した。次の文章は当時の若い志士の手に成つたもので、今日の君等には如何《いか》にも幼児の戯《たはむ》れに見えようが、この稚気《ちき》の中に当年智者の単純な理想を汲み取つて読んで呉れ。
[#ここから1字下げ]
「伏て惟《おもんみ》るに、陛下恭倹の徳あり、加ふるに聡明叡智の才を以てす。夙に興き夜に寝ね、未だ曾て一月も懈《おこた》らず、天を敬し民を撫するの意、天下に孚《ふ》あり、而して其効験の未だ大に赫著せざるものは何ぞや。患、憲法を立て国会を開かざるに在る也、夫れ国会を開くは、上下の一致を謀るに在り。上下|苟《いやしく》も一致せば、則ち其の患ふる所のものは忽にして消し、其害を為すものは忽にして除き昨日の憂患は乃ち今日の喜楽となり、昨年の窮乏は乃ち今日の富饒と為る也。是故に国会を開く、詢《まこと》に陛下の叡旨の在る所にして亦人民の切に企望する所也」
[#ここで字下げ終わり]
この翌年、「明治二十三年国会開設」の予約が成り、二十二年の二月十一日、愈々《いよ/\》憲法発布。田中は時の県会議長として、この前古未曾有の大典に参列した。この日は稀有な大雪であつた。この栃木の大野人が始めて燕尾服
前へ
次へ
全23ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
木下 尚江 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング