の資格である。八百円では足りない、二千円にすれば議員の資格が保てるとは、何と不都合なる原案であるか。理由であるか万一この議会を通過するやうなことがございましては、上は陛下に対して畏多いのみならず、実に人民に対して相済まざることである。念の為老婆心を一言する次第でございます』
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採決の結果、増加案は百二十五対百三十四、即ち九票の差で通過した。この法律は即時実行するので、議員等は皆増額の歳費を受取つて帰つた。「歳費は辞することを得」と、法律は改正されたけれど、まるで忘れられた姿であつた。独り田中正造は忘れることが出来なかつた。弾劾的の理由書を提出して辞退して議会を出た。誹謗は却つて進歩党の中に起つた、『田中の歳費辞退は名聞の為めだ』と。
彼は選挙区へも報告せねばならぬ。彼は選挙区への報告の末尾に於て、次のやうに言うて居る。
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『正造一己の生活に就ては、多年諸君の御厚遇を蒙り、御恩借の金円も少からずして、未だ返納も不仕ものなれば、その歳費辞退の手続を為すの前に於て、一々御協賛を経べきの所、国務多端寸時を争ふの折柄に候へば、遂に御協賛も不得辞退の手続を了したるの事情、幾重にも御推察被下度。尤も御協賛を要し候も、結局老生の精神は毫も変ずる事なく、只管《ひたすら》歳費を辞するの外他意なき次第に御座候。事態切迫専断実行の場合御高察の程|偏《ひとへ》に御願申上候、云々』
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   老農の歌へる「渡良瀬の詩」

世間は、去る三十年五月の「鉱毒防禦工事」の命令書で、鉱毒問題は既に解決して了つたものと思つて居る。
三十一年秋の大洪水の折、鉱毒地の農民は大挙して東京へ押寄せた。東京に居た田中は、この急報に接すると、単身直ちに千住街道を淵江村と云ふ迄車を走せ其処に請願の民衆を待ち受けて、百方説諭して引き取らせた。それは憲政党内閣の時なので、即ち我党内閣を信用して、此度は平和に帰村せよと言ふのであつた。その時彼は言うた。
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『政府若し正造及び同志の説明を用ひざれば、議会に於て責任を詰問し、社会に向て当局の不法を訴ふべし。其時諸君は御出京御随意なり。其時こそ正造は諸君と進退を共にすべければ、今日決死の生命をば、それまで保存せられたし』
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然るに憲政党内閣は、あの通りの醜態で消えてし
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