設の官制及び委員任命の件を、議会へ発表した。昨夜、榎本が大隈を説得したのだ。
二十五日、議会閉院式。
二十八日、榎本は責任を引いて農商務大臣を辞した。
三十日、宮内省からは、広幡侍従が鉱毒地視察。
四月九日、内務大臣樺山資紀の鉱毒地視察。
五月廿七日、鉱毒防禦工事命令書が鉱業人古河市兵衛へ達せられた。
田中正造は、「鉱毒防禦」を要求したのでは無い、「鉱業停止」を求めたのだ。
政治生活の断崖に立つ
明治三十二年の春、議会が議員の歳費増加案を通過し、田中正造が歳費辞退の已むなき境界に立つた時は、即ちこの人の政治的生活が既に断崖に近寄つた時である。これを知る為には当年政治界の外観を一瞥するの必要がある。一と筆書きにして見たい。
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一、伊藤博文、憲法制定の功労者。一身同体の親友井上馨、その背後に三井。
一、大隈重信、改進党の創立者、背景が三菱。
一、山県有朋、非議会主義の代表者、陸軍の首脳。
不思議なる運命は、二十三年、この人の総理大臣時代に帝国議会が始めて開かれた。明治廿五年、乱暴なる選挙干渉を行つた内務大臣品川弥二郎はこの直系。
一、日清戦争後、二十八年冬、伊藤内閣は議会に臨むに当りて自由党と提携。議会閉会の後自由党の強要にて党首板垣退助入閣。
一、伊藤内閣は、外務大臣陸奥宗光病気辞職、且つ戦後財政の為め有力な大蔵大臣を要する為め、松方正義大隈重信の二人を入閣させようとしたが、板垣固く大隈を排斥して成立せず。伊藤内閣総辞職。
一、元老会議の推薦にて、二十九年九月十八日、薩閥及進歩党提携の、新内閣成立。
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総理大臣兼大蔵大臣 松方正義
外務大臣 大隈重信
内務大臣 樺山資紀
海軍大臣 西郷従道
拓植大臣兼陸軍大臣 高島鞆之助
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薩派の非立憲的行動、進歩党の猟官的運動、両々相容れず、三十年十一月、進歩党提携を断ちて大隈辞職、鉱毒防禦工事を始めて古河市兵衛へ命令したのはこの時だ。
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一、同十二月廿四日、第十一帝国議会開院式。
廿五日、進歩党自由党連合して松方内閣不信任決議案提出。衆議院解散。
廿八日、松方首相辞表提出。
三十一年二月十日、伊藤博文、
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