口を拘致せり、故に我等は其不法を責めて之を回復したりなりと。事実の確否は疑獄に関聯するが故に暫く之を尋窮《じんきゆう》せざるべし。然れ共之を警官の職責より論じて、一旦拘致したる者を、空しく放還するは、是れ果して適当の処置なりや否や。否な果して其責任を辱かしめざる行為と言ひ得べきや否や。此の一事の中には、権力の濫行|乎《か》、職務の懈怠乎、二者何れかを含まざるべからず。余は之を本邦警察権の為めに普《あまね》く世の識者に訴へざるべからず。

   被害民の今後

鉱毒被害民が今後の動静如何、是れ差当りての問題なり。彼等の側面より観る時は、彼等は鎮圧されたるなり。鎮圧は平穏の徴候に非ずして、却て激昂の禍機《くわき》を包蔵する者に外ならず。
看よ、栃木県足利郡筑波村に於ては、既に断然村役場を閉鎖せり。未だ閉鎖に及ばずと雖も此の最後の手段に出でんと欲する者、尚ほ多し。彼等被害民は国家の恩沢と、国法の保護とは、己等の上に輝かざる者と憤懣し居るなり。彼等は両々、三々頭を鳩《あつ》め、声をひそめ、歎声を洩らして曰く、斯かる有様にては国の滅するも遠からじと。
余は彼等野人の口より此の真率沈痛の語を聴きて転《うた》た虔敬《けんけい》の念に堪へざるなり。此語を伝へて政府と国民とに通達するは則ち、吾人の責任なり。

   政府に警告す

足尾鉱毒事件が始めて衆議院の議場に披露せられたるは明治二十四年に在り。爾来十星霜、而して彼等被害民の意思と行為とは転一転毎に其度を高かめて、今は鉱業停止の一天張りとはなれり。世人の被害民に同情を寄する者決して尠なしとせず。而して彼等の同情も「鉱業停止」の叫声に接して躊躇逡巡するが如し。余は今ま鉱業停止問題の是非を論ずるに非ず。然れ共彼等も最初より鉱業停止を号叫したるに非ず。而して彼等をして、此の最後の声を発せざるべからざらしめたるに就ては、政府また其責任の半分を負担せざるべからず。看よ、政府は最初鉱毒有無の証迹明了ならずとの故を以て、之を避けたり。専門家の試験を経て、鉱毒の事明かなるに及びて、政府は其の害毒の程度に疑点を置きて、之を避けたり。而して此の間政府は陰然、鉱業家と被害民との中に立ちて私的示談に一任し、自ら其責任を避けんと欲したりき。若し被害地人民の一揆的運動と、田中正造氏の熱心となかりしならんには、三十年憲政党内閣の除害工事命令と被害地免租の処分
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