問題とは思はざるなり。否な思はざるに非ず。去れど被害民の発程事情、利根河畔の衝突の事情に就て暫く沈黙を守らんと欲する余は勢ひ之を詳記せざるべきなり。余は勿論其活劇の場所に立会へる者に非ず。而して館林警察署長は断じて抜剣の動作なしと明言せり。去れど余は被害人民の多くより警官の中抜剣したる者を見たりと訴ふるを聴けり。只だ余は警官等が抜剣の事なからん為めに、予《あらかじ》め麻繩もてツバ元を縛し置けりとの弁解を以て、此の無用なる周到の用意は、却て当局者の疑惑を招くに過ぎざるを感ずるのみ。

   解散後警官の挙動

然れ共被害民一行解散後に於ける警官の動作は、注意せざるべからず。是れ警察の威厳と信用とに関する重要問題なればなり。
利根河畔なる衝突現場に於ける警官の殴打は治安保護上の必要なりと弁解することを得ん。去れど解散後に於ける殴打は何の辞を以て、之を弁護せんと欲する乎。
逃ぐる敵を逐ふは戦場に於ける勇者の恥辱なり、況《ま》して鉱毒被害民は警官の仇敵に非るなり。故に警官が解散執行後に採るべき職務は本然の懇篤親切に立ち返へりて、彼等人民をして平和に其の家に行かしむるに在り。而して余は此の間に立ちて当時警官の挙動に甚だ不穏不当の事実多きを聞取するを悲む、左に少しく之を記述せん。
一、帰途の乱打 余は当日の請願一行に加はりたる多くの被害民に会見せり。彼等の言語は互に異れ共其の意は則ち一なり。曰く利根河畔より解散せられて、帰途に就くや、多くの警官は追尾し来れり。而して彼等警官は些の事情もあらざるに、或は被害民を罵詈し、或は之を突きやり、甚しきは帯剣もて之を乱打せりと。今ま余が親しく聞き得たる所の一二を記るさんに、栃木県足利郡筑波村なる或る老人をば巡査五人して或は手を取り、或は足を取り之を路傍の水中に投じたり。かの老人は同村なる磯定吉なる者の衣類を借りて僅かに逃れたり。又た吾妻村字下羽田なる遠藤次郎なる者は巡査の為めに其両眼へ泥土を塗られたり。此他或は路傍に休みて撃たれたるあり、口内へ土砂を押し入れたるあり。而して此の一行に加はらざりし父老等は之を伝聞して、一人の起ちて此の暴戻なる警官に反抗防衛する者あらざりし事の、意気地なきを憤慨せり。余は余りに彼等が言ふ所の一致するを看て、之を群馬、栃木、埼玉等此の件に関かれる県下警察の為めに、痛惜せずんばあらず。
一、飲食の妨害 被害民等が解
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