/\雄《えら》い、好い方で御座いました、御容姿《ごきりやう》もスツキリとした美くしいお方で――梅子さんが御容姿と云ひ、御気質と云ひ、阿母さんソツクリで在《いら》つしやいますの、阿母さんの方が気持ち身丈《せい》が低くて在《い》らしつたやうに思ひますがネ――」
 老女の心は、端《はし》なくも二十年の昔日《むかし》に返へりて、ひたすら懐旧の春にあこがれつゝ、
「先生、其頃まで山木|様《さん》は大蔵省に御勤めで御座いましてネ、何でも余程幅が利《き》いて在《い》らしつたらしかつたのです、スルと、あれはかうツと――左様《さう》/\十四年の暮で御座いましたよ、政府《おかみ》に何か騒が御座いましてネ、今の大隈様《おほくまさん》だの、島田様だのつてエライ方々が、皆ンな揃《そろつ》て御退《おさが》りになりましてネ、其時山木様も一所に役を御免《おやめ》になつたのです、今まで何百ツて云ふ貴《よ》い月給を頂いて居らつしやいましたのが、急に一文なしにおなりなすつたのですから、ほんとに御気の毒の様で御座いましたがネ、奥様が、貴郎《あなた》、厳乎《しつかり》して、丈夫《をとこ》に意見を貫《とほ》させる為めには、仮令《たとへ》乞食になるとも厭《いと》はぬと言ふ御覚悟でせう、面《かほ》は花の様に御美しう御座いましたが、心の雄々しく在《い》らしつたことは兎《と》ても男だつて及びませんでしたよ、山木さんの辞職なされたのも、つまり奥様の御勧《おすゝめ》だと其頃一般の評判でしたの、――其れから奥様は学校の教師《せんせい》をなさる、山木様は新聞を御書きになつたり、演説をして御歩きになつたりして、奥様はコンな幸福は無いツて喜んで在らつしやいましたが、感冒《おかぜ》の一寸こじれたのが基《もと》で敢《あへ》ない御最後でせう――私は尋常《ひとかた》ならぬ御恩《おめぐみ》に預つたもんですから、おしまひ迄御介抱申し上げましたがネ、先生、其の御臨終の御立派でしたこと、四十何度とか云ふ高熱で、普通の人ならば夢中になつて仕舞ふ所ですよ、――山木様の御手を御握《おにぎり》になりましてネ、何卒《どうぞ》日本の政道の上に基督《キリスト》の御栄光《おんさかえ》を顕《あら》はして下ださる様、必ず神様への節操《みさを》をお忘れなさるなと仰《お》つしやいましたが、山木様が決して忘れないから安心せよと御挨拶《ごあいさつ》なさいますとネ、奥様は世
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