若紳士は唯々《ゐゝ》として頭《かうべ》を垂れぬ、
馬車は夕陽を浴びつゝ迂廻《うくわい》して、やがて悠々《いう/\》華族会館の門を入りぬ、
* * *
神田|美土代町《みとしろちやう》なる青年会館の門前には、黒山の如き群集の喧々《けん/\》囂々《がう/\》たるを見る、
「何故《なぜ》入場を許さない」「集会の自由を如何にする」「圧制政府」「警察の干渉」「僕は社会主義に反対のだから入《いれ》て呉れい」「ヒヤ/\」「ノウ/\」「馬鹿野郎」「ワハヽヽ」「ワアイ/\」
星影まばらに風寒き所、圧《お》しつ圧されつ動揺するさま、怒涛《どたう》の闇夜寄せつ砕けつするに異らず、
鉄門は既《すで》に固く鎖《とざ》されたり、只《た》だ赤煉瓦《あかれんぐわ》の塀《へい》に、高く掲げられたる大巾《おほはば》の白布に、墨痕《ぼくこん》鮮明なる「社会主義大演説会」の数文字のみ、燈台の如く仰がれぬ、
幾十となき響官の提灯《ちやうちん》は、吠《ほ》えたける人涛《ひとなみ》の間に浮きつ沈みつして、之を制止する声|却《かへつ》て難船者の救助を求むる叫喚の如くぞ響く「最早《もう》立錐《りつすゐ》の地が無いのだ」「コラ、垣を越えては不可《いかん》」「圧《お》すな/\」「提灯《ちやうちん》が潰《つ》ぶれるワ」「痛い/\」「ヤア/\」
同じく入場し得ざる為め、少しく隔《へだ》たりて観居《みゐ》たる数名、
「日本も偉いことになつて参りましたナ、此の戦争熱の最中で、非戦論の演説を行《や》らうツてんですから」
「左様《さやう》、其れを又た聴きたいてんで、此の騒《さわぎ》なんですからナ」
「而《し》かも貴所《あなた》、十銭傍聴料を払ふんだから、驚くぢやありませんか」
「正直な所、誰でも戦争など有難いもんぢやありませんのサ、――大きな声ぢや言はれませんがネ」
二十三の二
立錐《りつすゐ》の地なしと門前の警官が、絶叫したるも宜《うべ》なりけり、左《さ》しもに広き青年会館の演説場も、只《た》だ人を以て埋めたるばかり、爛々《らん/\》たる電燈も呼吸の為めに曇りて見えぬ、一見、其異に驚くは警官の厳重に排置せられしことなり、
演壇の右側には一警視の剣を杖《つ》きて、弁士の横顔穴も穿《あ》けよと睨《にら》みつゝあり、三名の巡査は俯《ふ》して速記に忙殺《ばうさつ》せらる、
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