筆|行徳秋香《かうとくあきか》なり、彼は先刻来憤怒の色を制して、松本を睨視《げいし》しつゝありしが、今は最早《もは》や得堪へずして起ちたりしなり、満場|呼吸《いき》を殺して彼を見たり、彼は篠田と最も親交ある一人なればなり、
「松本君の只今の御説明は、我々の耳には何等の証拠をも与へたるものとは聞えない、我輩も篠田君の親友で、恐《おそら》く満場の諸君よりも同君の内状に詳《くはし》いであらうと思ふ、我輩は最も親交ある篠田君の一友人として、松本君の指摘されたる事実は、尽《ことごと》く無根の捏造説《ねつざうせつ》であることを断言します――抑《そもそ》も此の誣告《ぶこく》を試みたる信用すべき人物とは、何物でありますか」
 松本は猛然として、起てり「行徳君は僕を誣告者《ぶこくもの》と言はれた、怪《け》しからん、――諸君、僕が誣告者であるか否《いなや》は、公明正大なる諸君の判断に一任します、僕は只だ良心の命ずる所に従《したがつ》て此事を言ふのである」
「証人の名を言へ」と呼ぶものあり、
 声する方を松本は睨《にら》みつ「証人の名を言ふに及ばぬ、若《も》し諸君が僕を信用するならば、敢《あへ》て証人の姓名を問ふに及ばぬではないか」
 紛々たり、擾々《ぜう/\》たり、
「審判なしに宣告を下だすことは如何《いか》なる野蛮の法律も許《ゆ》るさぬ」と一隅に叫けぶものあり、
 松本はニヤリと冷笑を浮かべつゝ満場を見渡《みわ》たせり「諸君は証拠を要求せらるゝが、証拠を示さぬのは必竟《ひつきやう》彼に対する恩恵だ――諸君は彼を道徳堅固なる君子と信仰せられる様だ、恐ろしい君子があつたもんだ、芸妓買《げいしやかひ》を行《や》つて、自由廃業をさせて、借金を踏み倒ほさして、自宅《うち》へ引きずり込んで、其れで道徳堅固な君子と言ふんだ、成程|耶蘇教《ヤソけう》と云ふものは偉《え》らいもんだ」
 ヒヤ/\、大ヒヤなど頓狂《とんきやう》なる叫喚《けうくわん》は他の一隅に湧《わ》き上がれり、
 笑声ドツと四壁を動かしつ、

     十八の三

 此の光景《ありさま》を看《み》て取つたる松本常吉「議長、満場別に異議ないやうです、採決を願ひませう」
 憂色、面《おもて》に現然たる議長が何やらん唇《くち》を開かんずる刹那《せつな》「否《ノー》ツ」と一声、巨鐘の如く席の中央より響きたり、看《み》よ、菱川硬二郎は夜叉《やし
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