御前《ごぜん》、奥様に御睨《おにら》まれ申すのが怖《こは》くてなりませんの」
「ハヽヽヽヽ何に奥が怖いことあるものか、あれは梅干|婆《ばゝあ》と云ふのぢやから、最早《もう》嫉《や》くの何《ど》うのと云ふ年ぢや無いわい、安心しちよるが可《よ》い、――其れよりも世の中に野暮《やぼ》なは、其方《そち》の伯父ぢや、昔時《むかし》は壮士ぢやらうが、浪人ぢやらうが、今は兎《と》に角《かく》芸人の片端《かたはし》ぢや、此頃の乱暴は何《ど》うぢや、姪《めひ》を売つて権門に諂《へつら》ふと世間に言はれては、新俳優の名誉に関《かゝ》はるから、其方《そち》を取り戻すなどと、イヤ、飛んだ活劇をし居つたわイ、第一|其方《そち》の心中《こころ》を察しない不粋《ぶすゐ》な仕打ぢや、ナ、浜子」
「あの時は、御前、何《ど》うなることかと私《わたし》、ほんとに怖《こは》う御座いましたよ、けども御前、伯父も本心から彼様《あんな》こと致したのでは御座いませぬでせうと思ひますの、御前の御贔負《ごひいき》に甘えまして一寸《ちよつと》狂言を仕組んで見たので御座いますよ」
「ウム、其方《そち》の方が余程物が解わちよる、――アヽ、僅《わづ》かの間でも旅と思へば、浜子、誰|憚《はば》からず、気が晴々としをるわイハヽヽヽヽ」
「ほんたうに左様《さう》で御座いますのねエ、ホヽヽヽヽ」
 人なき一室を我が世と楽《たのし》みて、又た他事もなき折こそあれ、「バタリ」響ける物音に、何事と彼方《かなた》を見れば、今しも便所の扉開きて現はれたる一客あり、陽春三月の花の天《そら》に遽然《きよぜん》電光|閃《きら》めけるかとばかり眉打ち顰《ひそ》めたる老紳士の面《かほ》を、見るより早く彼《か》の一客は、殆ど匍《は》はんばかりに腰打ち屈《かが》めつ、
「是れは/\伊藤侯爵閣下――」
 伊藤と呼ばれし老紳士は、膝《ひざ》より浜子を下ろしつゝ「ウム、山木か――」
「閣下、久しく拝謁《はいえつ》を見ませんでしたが、相変らず御盛《ごさかん》なことで恐れ入りまする」
「山木、隠居役になると、貴公等には用が無くなるからナ」
 と侯爵の冷《ひやゝ》かに笑ふを、山木剛造は額撫でつゝ「是《こ》れは閣下、決して左様な次第では御座りませぬが、――併し今日《こんにち》は誠に可《よ》い所で拝謁を得ました、実は是非共閣下の御権威《おちから》を拝借せねばならぬ義が御座
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