り》の女性《をんな》、老いたるは芸妓殺《げいしやころし》を以て満都の口の端《は》に懸《かゝ》りたる石川島造船会社の職工兼吉の母にて、若きは近き頃迄|烏森《からすもり》に左褄《ひだりづま》取りたる花吉の変形なり、
夕日|斜《なゝめ》に差し入る狭き厨房《くりや》、今正に晩餐《ばんさん》の準備最中なるらん、冶郎蕩児《やらうたうじ》の魂魄《たましひ》をさへ繋《つな》ぎ留めたる緑《みどり》滴《したゝ》らんばかりなる丈《たけ》なす黒髪、グル/\と引ツつめたる無雑作《むざふさ》の櫛巻《くしまき》、紅絹裏《もみうら》の長き袂、しごきの縮緬《ちりめん》裂いて襷《たすき》凛々敷《りゝしく》あやどり、ぞろりとしたる裳《もすそ》面倒と、クルリ端折《はしを》つてお花の水仕事、兼吉の母は彼方《あちら》向いて竈《へつつひ》の下せゝりつゝあり、
「考へて見ると老女《おば》さん、ほんとに世の中は面白いものねエ、かうした処でお目に懸《かゝ》つて、此様《こん》なお世話さまにならうなどとは、夢にも思やしないんですもの、此頃中の私《わたし》の心と云ふものは、老女さん、昨夜《ゆうべ》もお話した様なわけでネ、自分ながら思案に暮れましたの、どうせ泥水商売してるからにや、普通《なみ》の女《ひと》の様なこと思つたからとて、詮《せん》ないことなんだから、寧《いつ》そ松島と云ふ男《ひと》の所へ行つて、思ふ存分|我儘《わがまま》を働いて遣《や》らうかなどとも迷つたりネ、自暴《やけ》になつて腹ばかり立つて、仕様《しやう》も模様も無かつたのですよ、スルと湖月の御座敷で始めて此家《こちら》の先生様にお目に掛りましてネ、兼吉さんと米ちやんとのお話を承はつてる中に、私の心が妙な風に成つて来ましてネ、仮令《たとひ》女性《をんな》の節操《みさを》を涜《けが》したものでも、其が自分の心から出たのでないならば、咎《とが》めるに及ばぬと仰《おつ》しやつたお言葉が、ヒシと私の胸を刺《さし》ましたの、して見ると私などでも余り世間を怨んで、ヒガミ根性《こんじやう》ばかり起さんでも、是れからの心の持ち様一つでは、人様の前へ顔出しが出来るやうになれるかと不図《ふと》思ひ浮かびましてネ、其れから二日二晩と云ふもの考へ通しましたけれど、如何《どう》したら可《い》いのか少しも方角が付かぬぢやありませんか、一つ篠田様にお願申して見る外無いと思ひましてネ、二日
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