ような者一人をたよりに思召すのが断ち切れぬ絆《きずな》になりまして、そのまま今も世に交わっておりますうちに自然に位などというものも高くなり、自身の意志にかなった生活もできないことになりますと、心は仏の道に傾きながら、行為は罪になるほうへ引かれても行っておりましたが、それは公私のやむをえぬことに生じた枝葉ともいうべきことです。そのほかではこれは仏の戒めであると教えられましたことは、いささかのこともそれに触れたくないと心がけ、慎んでいまして、心の中は僧に変わりはないと信じる私です。ましてそれは不善のはなはだしいものですから、どうして道にはいった人を誘惑したりすることをしましょう。お信じください。ただ逢いまして気の毒な母親の話などをよくしてやりますことができれば私の心が楽になることと思うからです」
 と、昔から仏の教えを奉じることの深さを薫《かおる》は告げた。僧都《そうず》も道理であるとうなずき、尊い心がけであることをほめなどするうちに日も暮れたため、中宿りに小野へ寄ることはふさわしい道順であると薫は思ったが、突然に行くのはやはりよろしくなかろうと考え、帰ることにきめた時、この常陸《ひたち》の子を僧都は愛らしいとほめた。
「この少年に持たせてやります手紙に彼女の昔の知人のことをほのめかしておいてください」
 と薫が言ったので、僧都はさっそく手紙を書いた。
「ときどきは山へも登って来て遊んで行きなさい。私にあなたは縁がないのでもないからね」
 などとも言った。少年は縁のあるという理由がわからないのであるが、手紙を受け取ってすぐに供の中へまじった。
 坂本へ近くなった所で、
「前駆の者は列を分かれ分かれにして声も低くして行くように」
 と大将は注意した。
 小野では深く繁《しげ》った夏山に向かい、流れの蛍《ほたる》だけを昔に似たものと慰めに見ている浮舟《うきふね》の姫君であったが、軒の間から見える山の傾斜の道をたくさんの炬火《たいまつ》が続いておりて来るのを見るために尼たちは縁の端へ出ていた。
「どなたがお通りになるのでしょう。前駆の人がたくさんなように見えますね。昼間|横川《よかわ》の方へ海布《め》の引乾《ひきぼし》を差し上げた時に、大将さんがおいでになって、にわかに饗応《きょうおう》の仕度《したく》をしている時で、いいおりだったというお返事がありましたよ」
「大将さんというのは今の女二《にょに》の宮《みや》のたしか御良人《ごりょうじん》でいらっしゃる方ですね」
 などと言っているのも、世間に通じない田舎《いなか》めいたことであった。
 あの人たちが言うように実際大将が通るのであろうかと浮舟が思っている時に、かつてこれに似た山路《やまみち》を薫の通って来たころ、特色のある声を出した随身の声が他の声にまじって聞こえてきた。月日が過ぎれば過ぎるほど昔を恋しく思ったりすることは何にもならぬむだなことであると情けなく姫君は思い、阿弥陀仏《あみだぶつ》を讃仰《さんごう》することに紛らせ、平生よりも物数を言わずにいた。
 薫は常陸の子を帰途にすぐ小野の家へやろうと思ったのであるが、従えている人の多いために避けて邸《やしき》へ帰り、翌朝になってから僧都の手紙を持たせてやることにして、きわめて親しく思う人で、おおぎょうにならぬもの二、三人だけを付け、昔も宇治の使いをよくさせた随身も添えてやるのであった。聞く人のない時に、その子を薫はそばへ呼んで、
「おまえの亡くなった姉様の顔は覚えているか、もう死んだ人だとあきらめていたのだが、確かに生きていられるのだよ。ほかの人たちには知らしたくないと思っているのだから、おまえが行って逢って来るがいい。母にはまだ今のうちは言わないほうがいい。驚いて大騒ぎをするだろうから、そんなことはかえって知らない人にまでいろいろなことを知らせてしまうことになるよ。母の悲しみを思って私はあの人を捜し出すのにこんなに骨を折っているのだ。ある時までは口外するな」
 といましめるのを聞いて、子供心にも、兄弟は多いが上の姫君の美に及ぶ人はだれもないと思い込んでいたところが、死んでしまったと聞き非常に悲しいことであるといつもいつも思っているのに、こんなうれしい話を知ったのであるから感激して涙もこぼれてくるのを、恥ずかしいと思い、
「はあい」
 と荒々しい声を出して紛らした。
 小野の家へはまだ早朝に僧都の所から、
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昨夜大将のお使いで小君《こぎみ》がおいでになりましたか。お家のことなどくわしいお話を伺って茫然《ぼうぜん》となり、恐縮しておりますと姫君に申し上げてください。私自身がまいって申し上げたいこともたくさんあるのですが、今日明日を過ごしてから伺います。
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 こんな手紙が尼君へ来た。驚いて姫
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