たから、このまま死なせたくないと惜しんで、どの女房も皆よく世話をした。さすがにときどきは目をあけて見上げなどするが、いつも涙を流しているのを見て、
「まあ悲しい。私の恋しい死んだ子の代わりに仏様が私の所へ導いて来てくだすった方だと思って私は喜んでますのに、このままになってはかえって以前にました物思いをする私になるでしょう。宿縁があればこそこうして出逢うことになったあなたと私に違いないのですよ。なんとか少しでもものをお言いなさいよ」
こう長々と言われたあとで、やっと、
「生きることができましても、私はもうこの世にいらない人間でございます。人に見せないでこの川へ落としてしまってください」
低い声で病人は言った。何にもせよ珍しくものを言いだしたことをうれしく尼君は思った。
「悲しいことを、まあどうしてそんなことをお言いになりますの、どうしてそんな所に来ておいでになったの」
と尋ねても、もうそれきり何も言わなかった。身体《からだ》にひょっと傷でもできているのではないかと思って調べてみたが、疵《きず》らしい疵もなく、ただ美しいばかりであったから、心は驚きに満たされ、さらに悲しみを覚え、実際兄の弟子たちの言うように、変化《へんげ》のものであってしばらく人の心を乱そうがためにこんな姿で現われたのではないかと疑われもした。
一行は二日ほどここに滞留していて、老尼と拾った若い貴女《きじょ》のために祈りをし、加持をする声が絶え間もなく聞こえていた。宇治の村の人で、僧都に以前仕えたことのあった男が、宇治の院に僧都が泊まっていると聞いて訪《たず》ねて来ていろいろと話をするのを聞いていると、
「以前の八の宮様の姫君で、右大将が通って来ておいでになった方が、たいした御病気でもなしににわかにお亡《かく》れになったといってこの辺では騒ぎになっております。そのお葬式のお手つだいに行ったりしたものですから昨日は伺うことができませんでした」
こんなことも言っている。そうした貴女の霊魂を鬼が奪って持って来たのがこの人ではあるまいかと思われた尼君は、今は目に見ているが跡形もなく消えてしまう人のように思われ、危うくも恐ろしくも拾った姫君を思った。女房らが、
「昨夜ここから見えた灯《ひ》はそんな大きい野べ送りの灯とも見えなんだけれど」
と言うと、
「わざわざ簡単になすったのですよ」
こんな説明をした。死穢に触れた男であるから病人の家に近づかせてはならないと言い、立ち話をさせただけで追い返した。
「大将さんが八の宮の姫君を奥様にしていらっしゃったのは、お亡《な》くなりになってもうだいぶ時がたっていることだのに、だれのことをいうのだろう。姫宮と結婚をしておいでになる方だから、そんな隠れた愛人などをお持ちになるはずもないことだし」
とも尼君は言っていた。
大尼君の病気は癒《い》えてしまった。それに方角の障《さわ》りもなくなったことであるから、こうした怪異めいたことを見る所に長くいるのはよろしくないといって、僧都の一行は帰ることになった。拾った貴女はまだ弱々しく見えた。途中が心配である、いたいたしいことであると女房たちは言い合っていた。二つの車の一台の僧都と大尼君の乗ったのにはその人に奉仕している尼が二人乗り、次の車には尼夫人が病の人を自身とともに乗せ、ほかに一人の女房を乗せて出た。車をやり通させずに所々でとめて病人に湯を飲ませたりした。比叡《ひえ》の坂本《さかもと》の小野という所にこの尼君たちの家はあった。そこへの道程《みちのり》は長かった。途中で休息する所を考えておけばよかったと言いながらも小野の家へ夜ふけになって帰り着いた。僧都は母を、尼君はこの知らぬ人を世話して皆抱きおろして休ませた。
老いた尼君はいつもすぐれた健康を持っているのではない上、遠い旅をしたあとであったから、その後しばらくはわずらっていたもののようやく快癒《かいゆ》したふうの見えたために僧都は横川《よかわ》の寺へ帰った。身もとの知れない若い女の病人を伴って来たというようなことは僧としてよい噂《うわさ》にならぬことであったから、初めから知らぬ人には何も話さなかった。尼君もまた同行した人たちに口固めをしているのであって、もし捜しに来る人もあったならばと思うことがこの人を不安にしていた。どうしてあの田舎人ばかりのいる所にこの人がこぼされたように落ちていたのであろう、初瀬へでも参詣《さんけい》した人が途中で病気になったのを継母《ままはは》などという人が悪意で捨てさせたのであろうと、このごろではそんな想像をするようになった。河《かわ》へ流してほしいと言った一言以外にまだ今まで何も言わないのであったからたよりなく思った。そのうち健康《じょうぶ》にさせて手もとで養うことにしたいと尼君は願っているのであるが、いつまでも寝たままで起き上がれそうにもなく、重態な様子でその人はいたから、このまま衰弱して死んでしまうのではなかろうかと思われはするものの無関心にはなれそうもなかった。初瀬で見た夢の話もして、宇治で初めから祈らせていた阿闍梨にも尼君はそっと祈祷《きとう》をさせていた。それでもはかばかしくないことに気をもんで尼君は僧都の所へ手紙を書いた。
[#ここから1字下げ]
ぜひ下山してくださいまして私の病人を助けてくださいまし。重態なようでしかも今日まで死なずにいることのできた人には、何かがきっと憑《つ》いていて禍《わざわ》いをしているものらしく思われます。私の仏のお兄様、京へまでお出になるのはよろしくないかもしれませんが、ここへまでおいでくださるだけのことはお籠《こも》りに障《さわ》ることでもないではございませんか。
[#ここで字下げ終わり]
などと、切な願いを言い続けたものであった。不思議なことである、今までまだ死なずにおられた人を、あの時うちやっておけばむろん死んだに違いない、前生の因縁があったからこそ、自分が見つけることにもなったのであろう、試みにどこまでも助けることに骨を折ってみよう、それでとめられない命であったなら、その人の業が尽きたのだとあきらめてしまおうと僧都は思って山をおりた。
うれしく思った尼君は僧都を拝みながら今までの経過を話した。
「こんなに長わずらいをする人というものはどこかしら病人らしい気味悪さが自然にでてくるものですが、そんなことはないのでございますよ。少しも衰えたふうはなくて、きれいで清らかなのですよ。そうした人ですから危篤にも見えながら生きられるのでしょうね」
尼君は真心から病人を愛して泣く泣く言うのであった。
「はじめ見た時から珍しい美貌《びぼう》の人だったね。どんなふうでいます」
と言い、僧都は病室をのぞいた。
「実際この人はすぐれた麗人だね。前生での功徳《くどく》の報いでこうした容姿を得て生まれたのだろうが、また宿命の中にどんな障《さわ》りがあってこんな目にあうことになったのだろう。何かほかから思いあたるような話を聞きましたか」
「少しもございません。そんなことを考える必要はないと思います。私へ初瀬《はせ》の観音様がくだすった人ですもの」
と尼君は言う。
「それにはそれの順序がありますよ。虚無から人の出てくるものではないからね」
などと僧都《そうず》は言い、不思議な女性のために修法を始めた。宮中からのお召しさえ辞退して山にこもっている自分が、だれとも知らぬ女のために自身で祈祷《きとう》をしていることが評判になっては困ることであると僧都も思い、弟子たちも言って、修法の声を人に聞かすまいと隠すようにした。いろいろと非難がましく言う弟子たちに僧都は、
「静かにするがよい。自分は無慚《むざん》の僧で、御仏《みほとけ》の戒めを知らず知らず破っていたことも多かったであろうが、女に関することだけではまだ人の譏《そし》りを受けず、みずから認める過失はなかった。年六十を過ぎた今になって世の非難を受けてもしかたのないことに関与するのも、前生からの約束事だろう」
と言った。
「悪口好きな人たちに悪く解釈され、評判が立ちますればそれが根本の仏法の疵《きず》になることでございましょう」
快く思っていない弟子はこんな答えをした。自分のする修法の間に効験のない場合にはと非常な決心までもして夜明けまで続けた加持のあとで、他の人に物怪《もののけ》を移し、どんなものがこうまで人を苦しめるかと話をさせるため、弟子の阿闍梨《あじゃり》がとりどりにまた加持をした。そうしていると先月以来少しも現われて来なかった物怪が法に懲らされてものを言いだした。
「自分はここへまで来て、こんなに懲らされるはずの者ではない。生きている時にはよく仏の勤めをした僧であったが、少しの憾《うら》みをこの世に遺《のこ》したために、成仏ができずさまよい歩くうちに、美しい人の幾人もいる所へ住みつくことになり、一人は死なせてしまったが、この人は自身から人生を恨んで、どうしても死にたいということを夜昼言っていたから、自分の近づくのに都合がよくて、暗い晩に一人でいたのを取って来たのだ。けれども観音がいろいろにして守っておられるため、とうとうこの僧都に負けてしまった。もう帰る」
叫ぶようにこれは言われたのである。
「そう言う者はだれか」
と問うたが、移してあった人が単純な者でわきまえの少なかったせいか、それをつまびらかに言うことをなしえなかった。
浮舟《うきふね》の姫君はこの時気分が癒《なお》り、意識が少し確かになって見まわすと、一人として知った顔はなく、皆老いた僧、顔のゆがんだ尼たちだけであったから、未知の国へ来た気がして非常に悲しくなった。以前のことを思い出そうとするが、どこに住んでいたとも、何という人で自分があったかということすらしかと記憶から呼び出すことができないのであった。ただ自分は入水《じゅすい》する決心をして身を投げに行ったということが意識に上ってきた。そしてどこへ来たのであろうとしいて過去を思い出してみると、生きていることがもう堪えがたく悲しいことに思われて、家の人の寝たあとで妻戸をあけて外へ出てみると、風が強く吹いていて川波の音響も荒かったため、一人であることが恐ろしくなり、前後も考えて見ず縁側から足を下へおろしたが、どちらへ向いて行ってよいかもわからず、今さら家の中へ帰って行くこともできず、気強く自殺を思い立ちながら、人に見つけられるような恥にあうよりは鬼でも何でも自分を食べて死なせてほしいと口で言いながらそのままじっと縁側によりかかっていた所へ、きれいな男が出て来て、「さあおいでなさい私の所へ」と言い、抱いて行く気のしたのを、宮様と申した方がされることと自分は思ったが、そのまま失心したもののようであった。知らぬ所へ自分をすわらせてその男は消えてしまったのを見て、自分はこんなことになって、目的とした自殺も遂げられなかったと思い、ひどく泣いていたと思うがそれからのことは何も記憶にない。今人々の語っているのを聞くとそれから多くの日がたったようである。どんなに醜態を人の前にさらした自分で、どんなに知らぬ人の介抱《かいほう》を受けてきたのかと思うと恥ずかしく、そしてしまいには今のように蘇生《そせい》をしてしまったのであると思われるのが残念で、かえって失心状態であった今日までは意識してではなくものもときどきは食べてきた浮舟の姫君であったが、今は少しの湯さえ飲もうとしない。
「どうしてそんなにたよりないふうをばかりお見せになりますか。もうずっと発熱することもなくなって、病苦はあなたから去ったように見えるのを私は喜んでいますのに」
こう言って、尼夫人という緊張した看病人がそばを離れず世話をしていた。他の女房たちも惜しい美貌《びぼう》の浮舟の君の恢復《かいふく》を祈って皆真心を尽くして世話をした。浮舟の心では今もどうかして死にたいと願うのであったが、あのあぶない時にすら助かった人の命であったから、望んでいる死は近寄って来ず、恢復のほうへこの人は運ばれていった。ようやく頭を上げることができるようになり、食事もす
前へ
次へ
全10ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
紫式部 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング