の四位少将が昨夜夜ふけてからまたおいでになって、中宮《ちゅうぐう》様のお手紙などをお持ちになったものですから、下山の決意をなさったのですよ」
などと自慢げに言っている。ここへ僧都の立ち寄った時に、恥ずかしくても逢って尼にしてほしいと願おう、とがめだてをしそうな尼夫人も留守で他の人も少ない時で都合がよいと考えついた浮舟は起きて、
「僧都様が山をお下《お》りになりました時に、出家をさせていただきたいと存じますから、そんなふうにあなた様からもおとりなしをくださいまし」
と大尼君に言うと、その人はぼけたふうにうなずいた。
常の居間へ帰った浮丹は、尼君がこれまで髪を自身以外の者に梳《す》くことをさせなかったことを思うと、女房に手を触れさせるのがいやに思われるのであるが、自身ではできないことであったから、ただ少しだけ解きおろしながら、母君にもう一度以前のままの自身を見せないで終わるのかと思うと悲しかった。重い病のために髪も少し減った気が自身ではするのであるが、何ほど衰えたとも見えない。非常にたくさんで六尺ほどもある末のほうのことに美しかったところなどはさらにこまかく美しくなったようである。「たらちねはかかれとてしも」(うば玉のわが黒髪を撫《な》でずやありけん)独言《ひとりごと》に浮舟は言っていた。
夕方に僧都が寺から来た。南の座敷が掃除《そうじ》され装飾されて、そこを円《まる》い頭が幾つも立ち動くのを見るのも、今日の姫君の心には恐ろしかった。僧都は母の尼の所へ行き、
「あれから御機嫌《ごきげん》はどうでしたか」
などと尋ねていた。
「東の夫人は参詣《さんけい》に出られたそうですね。あちらにいた人はまだおいでですか」
「そうですよ。昨夜《ゆうべ》は私の所へ来て泊まりましたよ。身体《からだ》が悪いからあなたに尼の戒を受けさせてほしいと言っておられましたよ」
と大尼君は語った。そこを立って僧都は姫君の居間へ来た。
「ここにいらっしゃるのですか」
と言い、几帳《きちょう》の前へすわった。
「あの時偶然あなたをお助けすることになったのも前生の約束事と私は見ていて、祈祷《きとう》に骨を折りましたが、僧は用事がなくては女性に手紙をあげることができず、御無沙汰《ごぶさた》してしまいました。こんな人間離れのした生活をする者の家などにどうして今までおいでになりますか」
こう僧都は言った。
「私はもう生きていまいと思った者ですが、不思議なお救いを受けまして今日《きょう》までおりますのが悲しく思われます。一方ではいろいろと御親切にお世話をしてくださいました御恩は私のようなあさはかな者にも深く身に沁《し》んでかたじけなく思われているのでございますから、このままにしていましてはまだ生き続けることができない気のいたしますのをお助けくだすって尼にしてくださいませ。ぜひそうしていただきとうございます。生きていましてもとうてい普通の身ではおられない気のする私なのでございますから」
と姫君は言う。
「まだ若いあなたがどうしてそんなことを深く思い込むのだろう。かえって罪になることですよ。決心をした時は強い信念があるようでも、年月がたつうちに女の身をもっては罪に堕《お》ちて行きやすいものなのです」
などと僧都は言うのであったが、
「私は子供の時から物思いをせねばならぬ運命に置かれておりまして、母なども尼にして世話がしたいなどと申したことがございます。まして少し大人になりまして人生がわかりかけてきましてからは、普通の人にはならずにこの世でよく仏勤めのできる境遇を選んで、せめて後世《ごせ》にだけでも安楽を得たいという希望が次第に大きくなっておりましたが、仏様からそのお許しを得ます日の近づきますためか、病身になってしまいました。どうぞこのお願いをかなえてくださいませ」
浮舟の姫君はこう泣きながら頼むのであった。不思議なことである、人に優越した容姿を得ている人が、どうして世の中をいとわしく思うようになったのだろう、しかしいつか現われてきた物怪《もののけ》もこの人は生きるのをいとわしがっていたと語った。理由のないことではあるまい、この人はあのままおけば今まで生きている人ではなかったのである。悪い物怪にみいられ始めた人であるから、今後も危険がないとは思えないと僧都は考えて、
「ともかくも思い立って望まれることは御仏の善行として最もおほめになることなのです。私自身僧であって反対などのできることではありません。尼の戒を授けるのは簡単なことですが、御所の急な御用で山を出て来て、今夜のうちに宮中へ出なければならないことになっていますからね、そして明日から御修法《みしほ》を始めるとすると七日して退出することになるでしょう。その時にしましょう」
僧都はこう言った。尼夫人がこの家に
前へ
次へ
全24ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
紫式部 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング