のことも笛竹の継ぎし節《ふし》にも音《ね》ぞ泣かれける

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あの方へ私の誠意を認めてくださるようにお教えください。内に忍んでいるだけで足る心でしたならこんな軽はずみ男と見られますようなことまでは決して申し上げないでしょう。
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 と言う消息が尼君へあった。これを見て昔の婿君をなつかしんでいる尼夫人は泣きやむことができぬふうに涙を流したあとで返事を書いた。

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笛の音に昔のことも忍ばれて帰りしほども袖ぞ濡《ぬ》れにし

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不思議なほど普通の若い人と違った人のことは老人の問わず語りからも御承知のできたことと思います。
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 と言うのである。
 恋しく思う人の字でなく、見なれた昔の姑《しゅうとめ》の字であるのに興味が持てず、そのまま中将は置き放しにしたことであろうと思われる。
 荻《おぎ》の葉に通う秋風ほどもたびたび中将から手紙の送られるのは困ったことである。人の心というものはどうしていちずに集まってくるのであろう、と昔の苦しい経験もこのごろはようやく思い出されるようになった浮舟は思い、もう自分に恋愛をさせぬよう、また人からもその思いのかからぬように早くしていただきたいと仏へ頼む意味で経を習って姫君は読んでいた。心の中でもそれを念じていた。こんなふうに寂しい道を選んでいる浮舟を、若い人でありながらおもしろい空気も格別作らず、うっとうしいのがその性質なのであろうと周囲の人は思った。容貌《ようぼう》のすぐれて美しいことでほかの欠点はとがめる気もせず朝暮の目の慰めにしていた。少し笑ったりする時には、珍しく華麗なものを見せられる喜びを皆した。
 九月になって尼夫人は初瀬《はせ》へ詣《まい》ることになった。さびしく心細いばかりであった自分は故人のことばかりが思われてならなかったのに、この姫君のように可憐で肉身とより思えぬ人を得たことは観音の利益であると信じて尼君はお礼詣りをするのであった。
「さあいっしょに行きましょう。だれにわかることがあるものですか。同じ仏様でもあのお寺などにこもってお願いすることは効験《ききめ》があってよい結果を見た例がたくさんあるのですよ」
 と言って、尼君は姫君に同行を勧めるのであったが、昔母や乳母《めのと》などがこれと同じことを言ってたびたびお詣りをさせたが、自分には、何のかいもなかった、命さえも意《こころ》のままにならず、言いようもない悲しい身になっているではないか、と浮舟は思ううちにもこの一家の知らぬ人々に伴われてあの山路《やまみち》を自分の来たことは恥ずかしい事実であったと身に沁《し》んでさえ思われた。強情《ごうじょう》らしくは言わずに、
「私は気分が始終悪うございますから、そうした遠路《とおみち》をしましてまた悪くなるようなことがないかと心配ですから」
 と断わっていた。いかにもそうした物恐れをしそうな人であると思って、尼君はしいても言わなかった。

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はかなくて世にふる川のうき瀬には訪ねも行かじ二本《ふたもと》の杉《すぎ》
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 と書いた歌が手習い紙の中に混じっていたのを尼君が見つけて、
「二本《ふたもと》とお書きになるのでは、もう一度お逢いになりたいと思う方があるのですね」
 と冗談《じょうだん》で言いあてられたために、姫君ははっとして顔を赤くしたのも愛嬌《あいきょう》の添ったことで美しかった。

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ふる川の杉の本立《もとだち》知らねども過ぎにし人によそへてぞ見る
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 平凡なものであるが尼君は考える間もないほどのうちにこんな歌を告げた。目だたぬようにして行くことにしていたのであるが、だれもかれもが行きたがり、留守《るす》宅の人の少ない中へ姫君を置いて行くのを尼君は心配して、賢い少将の尼と、左衛門《さえもん》という年のいった女房、これと童女だけを置いて行った。
 皆が出立して行く影を浮舟《うきふね》はいつまでもながめていた。昔に変わった荒涼たる生活とはいいながらも、今の自分には尼君だけがたよりに思われたのに、その自分を愛してくれる唯一の人と別れているのは心細いものであるなどと思い、つれづれを感じているうちに中将から手紙が来た。
「お読みあそばせよ」
 と言うが、浮舟は聞きも入れなかった。そして常よりもまた寂しくなった家の庭をながめ入り、過去のこと、これからあとのことを思っては歎息ばかりされるのであった。
「拝見していましても苦しくなるほどお滅入《めい》りになっていらっしゃいますね。碁をお打ちなさいませよ」
 と少将が言う。
「下手《へた》でしょうがないのですよ」
 と言いながらも打つ気に浮舟はなった。盤を
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