いことに思われてできず、しかもほのかに見た姿は忘れることができずに苦しんでいた。厭世《えんせい》的になっているのは何の理由であるかはわからぬが哀れに思われて、八月の十日過ぎにはまた小鷹狩《こたかが》りの帰りに小野の家へ寄った。例の少将の尼を呼び出して、
「お姿を少し隙見で知りました時から落ち着いておられなくなりました」
と取り次がせた。浮舟の姫君は返辞をしてよいことと認めず黙っていると、尼君が、
「待乳《まつち》の山の(たれをかも待乳の山の女郎花秋と契れる人ぞあるらし)と見ております」
と言わせた。それから昔の姑《しゅうとめ》と婿は対談したのであるが、
「気の毒な様子で暮らしておいでになるとお話しになりました方のことをくわしく承りたく思います。満足のできない生活が続くものですから、山寺へでもはいってしまいたくなるのですが、同意されるはずもない両親を思いまして、そのままにしています私は、幸福な人には自分の沈んだ心から親しんでいく気になれませんが、不幸な人には慰め合うようになりたく思われてなりません」
中将は熱心に言う。
「不しあわせをお話しになろうとなさいますのには相当したお相手だと思いますけれど、あの方はこのまま俗の姿ではもういたくないということを始終言うほどにも悲観的になっています。私ら年のいった人間でさえいよいよ出家する時には心細かったのですから、春秋に富んだ人に、それが実行できますかどうかと私はあぶながっています」
尼君は親がって言うのであった。姫君の所へ行ってはまた、
「あまり冷淡な人だと思われますよ。少しでも返辞を取り次がせておあげなさいよ。こんなわび住まいをしている人たちというものは、自尊心は陰へ隠して人情味のある交際をするものなのですよ」
などと言うのであるが、
「私は人とどんなふうにものを言うものなのか、その方法すら知らないのですもの。私は何の点でも人並みではございません」
浮舟の姫君はそのまま横になってしまった。中将はあちらで、
「どちらへおいでになったのですか、御冷遇を受けますね。『秋を契《ちぎ》れる』はただ私をおからかいになっただけなのですか」
などと尼君を恨めしそうに言い、
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松虫の声をたづねて来しかどもまた荻原《をぎはら》の露にまどひぬ
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と歌いかけた。
「まあおかわいそうに、歌のお返しでもなさいよ」
尼夫人はこう姫君に迫るのであったが、そんな恋愛の遊戯めいたことをする気はなく、また一度歌を詠《よ》めば、こうした時々に返しを返しをと責められるであろうことも煩わしいと思う心から、ものも言わずにいるのを見て尼夫人も女房もあまりにふがいない人と思うらしかった。尼君は若い時代に機智《きち》を誇った才女であったのであろう。
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「秋の野の露分け来たる狩りごろも葎《むぐら》茂れる宿にかこつな
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迷惑がっておられます」
と言っているのを、浮舟は聞きながら、こうしたことからまだ自分の世の中にいることが昔の人々に知れ始めることにならないであろうかと苦しく思っていた。姫君の気持ちも知らずに、昔の姫君と同じくこの婿君をもなつかしがることの多い女房たちは、
「ただちょっと深い意味でもなくお立ち寄りになった方ですから、お話をなすってもよろしくない方へ進出しようなどとは大丈夫なさいませんから、御結婚問題などは別にして、好意のある程度のお返辞だけはしておあげなさいまし」
などと言い、身体《からだ》も引き動かすばかりに言うのであった。さすがに年を取った女たちは尼君が柄にもなく若々しく歌らしくもない歌をいい気で詠《よ》んで中将の相手をしていることは興ざめることと思っているのである。
なんという不幸な自分であろう、捨てるのに躊躇《ちゅうちょ》しなかった命さえもまだ残っていて、この先どうなっていくのであろう、全く死んだ者として何人《なんびと》からも忘れられたいと思い悩んで、横になったままの姿で浮舟《うきふね》はいた。中将は何かほかにも愁《うれ》わしいことがあるのか、ひどく歎息《たんそく》をして、笛を鳴らしながら「鹿《しか》の鳴く音《ね》に」(山里は秋こそことにわびしけれ鹿の鳴く音に目をさましつつ)などと口ずさんでいる様子は相当な男と見えた。
「ここへまいっては昔の思い出に心は苦しみますし、また新しく私をあわれんでくだすってよい方はその心になってくださらないし『世のうき目見えぬ山路』とも思われません」
と恨めしそうに言い、帰ろうとした時に、尼君が、
「あたら夜を(あたら夜の月と花とを同じくは心知れらん人に見せばや)お帰りになるのですか」
と言って、御簾《みす》の所へ出て来た。
「もうたくさんですよ。山里も悲しいもの
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