いのを、勇敢さを人に知らせたい欲望から、着物を引いて脱がせようとすると、その者はうつ伏しになって、声もたつほど泣く。何にもせよこんな不思議な現われは世にないことであるから、どうなるかを最後まで見ようと皆の思っているうちに雨になり、次第に強い降りになってきそうであった。
「このまま置けば死にましょう。垣根《かきね》の所へまででも出しましょう」
と一人が言う。
「真の人間の姿だ。人間の命のそこなわれるのがわかっていながら捨てておくのは悲しいことだ。池の魚、山の鹿《しか》でも人に捕えられて死にかかっているのを助けないでおくのは非常に悲しいことなのだから、人間の命は短いものなのだからね、一日だって保てる命なら、それだけでも保たせないではならない。鬼か神に魅入《みい》られても、また人に置き捨てにされ、悪だくみなどでこうした目にあうことになった人でも、それは天命で死ぬのではない、横死《おうし》をすることになるのだから、御仏《みほとけ》は必ずお救いになるはずのものなのだ。生きうるか、どうかもう少し手当をして湯を飲ませなどもして試みてみよう。それでも死ねばしかたがないだけだ」
と僧都《そうず》は言い、その強がりの僧に抱かせて家の中へ運ばせるのを、弟子たちの中に、
「よけいなことだがなあ。重い病人のおられる所へ、えたいの知れないものをつれて行くのでは穢《けが》れが生じて結果はおもしろくないことになるがなあ」
と非難する者もあった。また、
「変化《へんげ》のものであるにせよ、みすみすまだ生きている人をこんな大雨に打たせて死なせてしまうのはあわれむべきことだから」
こう言う者もあった。下《しも》の者は物をおおぎょうに言いふらすものであるからと思い、あまり人の寄って来ない陰のほうの座敷へ拾った人を寝させた。
尼君たちの車が着き、大尼君がおろされる時に苦しがると言って皆は騒いだ。
少し静まってから僧都は弟子に、
「あの婦人はどうなったか」
と問うた。
「なよなよとしていましてものも申しません。確かによみがえったとも思われません。何かに魂を取られている人なのでしょう」
こう答えているのを僧都の妹の尼君が聞いて、
「何でございますの」
と尋ねた。こんなことがあったのだと僧都は語り、
「自分は六十何年生きているがまだ見たこともないことにあった」
と言うのを聞いて、尼君は、
「ま
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