界での交わりを約していながら、女王に心を引かれ始めて、信仰をよそにした報いを受けるのであろうと、こんなことも思われた。
 大将は右近を前に呼んで話そうとしたが、悲しみが先に立ちはかばかしい質問もできない。
「もう忌の残りの日も少なくなったのだから済んでからと思ったが、どうしても待ちきれないものがあって来た。どんな病状でにわかにあの方は死ぬようになられたか」
 と問われ、右近は弁の尼なども姫君の遺骸のなくなっていたことは気《け》どっているのであるから、隠してもしまいには薫の耳にはいることに違いない、かえってことを蔽《おお》おうとして誤解を招くことになっては姫君が気の毒である、あの不始末を処理するためにはいろいろな嘘《うそ》も言われたのであるが、このまじめな人に対しては、今までも逢《あ》った時にはこうも弁解しああも言ってと考えていたことは皆忘れてしまい、嘘は恐ろしくなり真実の話をした。これは薫の想像にものぼらなかったことであったから、驚きのためにしばらくはものも言われなかった。それを真実とは信じがたい、普通の人が煩悶《はんもん》をしたり、悲しんだりする場合にも多くは口に言わずおおようにしていた人にどうしてそんな恐ろしいことが思い立たれるか、そのほかの事実を自分へこう取り繕って言うのではなかろうかと、いっそう心の乱れてゆくのを覚える薫であったが、しかしあの人をお隠しになったようでもなく宮が悲しんでおいでになったことは著しいことであったし、この家の様子も、死が作り事であれば自然に気配《けはい》が違っているはずであるのに、自分の来たのを見ると人は上から下まで集まって来て泣き騒いでいるではないかと考え、
「奥さんといっしょに行ってしまった人があるか、もっと詳細にその時のことを言ってくれ。私に誠意がないからほかへ行ってしまう気にあの人がなったとは思われない。何もなくてにわかにそんなことができるか、私は信じることができない」
 と言った。予期した詰問であると右近は恐れた。
「もうおわかりになっていらっしゃいましたでしょうが、宮様の姫君としてお育てられになったのではございませんでしたから、心でいろいろ御苦労をなされた方でございます。それが寂しいお住まいをなさることになりましてからはいつからともなく物思いをなさいますことになりましたのですが、たまさかにもせよあなた様がおいでになります時のお喜びで過去の不幸も御自身でお慰めになりながらも始終お逢いあそばすことのできますような日の出現を、口に出してはおっしゃいませんでしたが始終そればかり待っておいでになったふうでございました。ようやくそのお望みのかないます御様子と私どもにもうかがえますことがございまして、うれしく存じて御用意にかかっておりまして、常陸守《ひたちのかみ》の奥様もやっとお喜びになることができた御様子でお仕度《したく》のことなどをあちらからもいろいろとお世話をしていらっしゃいましたころになりまして、姫君には御合点のゆかぬような御消息がございましたそうで、それと同時に宿直《とのい》をいたしている侍たちが女房の中に品行の修まらぬ者があるとか京のお邸《やしき》で申されたとか言いだしまして、ものの理解のない田舎《いなか》の人が無遠慮なことをよく言ってまいったりすることになりますし、あなた様から久しくおたよりもございませんことなどから、自分は薄命なものだと小さい時から知っていたのを、人並みの幸福を得させようと心を砕いておいでになる母君が、また今になって自分が世間の笑われものになったりしては、どんなに力を落とすだろうと、こんなお心持ちをそれとなく私どもへ始終言ってお歎きになりました。それ以外に何があるかと考えましても、何も思い当たることはございません。鬼が隠すことがありましても片端くらいは残すでしょうのに」
 と言って右近の泣く様子は、見ていても堪えられなくなるほどのものであったから、宮との例の恋愛の事実は無根でないらしいと悟った時から少し紛れていた薫の悲しみがよみがえり、せきあえぬふうにこの人も泣いた。
「自分の身が自分の思っているとおりにはできず、晴れがましい身の上になってしまったのだから、逢って慰めたいという心の起こる時も、そのうち近くへ呼び寄せ、家の妻にも不安を覚えさせないようにしてから、長い将来を幸福にしたいと、自分をおさえてきたのを、誠意がなかったように思われたのも、かえってあの人に二心があったからではないかという気がされる。もうそんなことは言わずにおこうと思ったが、だれも聞いていないのだから事実を私に聞かせてくれ、それは兵部卿《ひょうぶきょう》の宮様のことだ。いつごろからのことだったのか、恋愛の技術には長じておいでになる方だから、女の心をよくお引きつけになって、始終お逢いできぬ歎きがこうさせておしまいになり、命もなくしたのではないかと思う。隠さずに真実を言ってくれ。自分に少しの欺瞞《ぎまん》もないことを言ってほしい」
 と薫《かおる》の言うのを聞いて、確かなことを皆知っておしまいになったようである、この方もお気の毒であるし、故人もおかわいそうであると右近は思った。
「情けないことをお聞きあそばしたものでございますね。右近がおそばにおらぬ時といってはございませんでしたのに」
 と言い、右近はしばらく黙っていたが、
「そんなこともお聞きになっていらっしゃいましょうが、お姉様の二条の院の奥様の所へ行っておいでになりました時、思いがけずそのお部屋《へや》へ宮様がお見えになったことがあるのでございますが、失礼なことも皆でいろいろ申し上げましてお立ち去りを願ったのでございました。実はそれを恐ろしいことに思召して、あの三条の仮屋《かりや》のような所にしばらくお住いになったのでございます。それからは決してお在処《ありか》をお知らせしますまいと警戒をいたしておりましたのに、どういたしましたことか今年《ことし》の二月ごろからおたよりがまいるようになりました。お手紙はたびたびまいったのですが、丁寧にお頼みになることもございませんでしたのを、もったいないことで、そうしてお置きになりますことはかえって悪い結果を生みますと私などがお勧めいたしましたので、一度か二度はお返事をあそばしたことがあったようでございます。それ以外のことは何もございません」
 こう言った。そう言うべきことである、しいてそれ以上を聞くのもこの人がかわいそうであると薫は思い、じっとひと所をながめながら、宮をお愛ししたのであろうが、自分をもおろそかには思えなかったらしい、迷い迷って死におもむいたのであろう、自分がこうした寂しい場所へさえ置かなんだならば、世の中の波にもまれることはあっても、自殺までもすることはなかったであろうと思うと、この川のあったがために悲しい結末を見ることになったのであると、宇治の流れを憎く思う薫であった。恋しい人の縁で荒い山路《やまみち》を往復《ゆきかえり》することを何とも思わなかった薫は、この時になって宇治という名を聞くことさえいやであるように思った。宮の夫人があの姫君のことを初めに戯れて人型《ひとがた》と名づけて言ったのも、川へ流れてゆく前兆を作ったものであったかと思うと、何にもせよ自分の軽率さから死なせたという責任も感じられた。母の現在の身分が身分であったから、葬式なども簡単にしてしまったのであろうと不快に思ったこともくわしく聞いたことによって、そうした想像をしたことが気の毒になり、母としてはどんなに悲しがっていることであろう、あの身分の母の子としてはりっぱ過ぎた姫君であったのを、陰のことは知らずに自分との縁により、姫君が煩悶をしたこともあったとして悲しんでいることかもしれぬなどと同情がされるのであった。穢《けが》れというものはこの家にないはずであるが、供の人たちへの手前もあって家の上へは上がらず車の榻《しじ》という台を腰掛けにして妻戸の前で今まで薫は右近と語っていたのである。これを長く続けているのも見苦しく思われて茂った木の下の苔《こけ》の上を座にしてしばらく休んでいた。もう山荘に来てみることも心を悲しくするばかりであろうから、今後来ることはないであろうと思い、その辺を見まわして、

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われもまたうきふるさとをあれはてばたれ宿り木の蔭《かげ》をしのばん
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 こんな歌を口ずさんだ。
 以前の阿闍梨《あじゃり》も今は律師になっていた。その人を呼び寄せて浮舟《うきふね》の法事のことを大将は指図《さしず》していた。念仏の僧の数を増させることなども命じたのであった。自殺者の罪の重いことを考えてその滅罪の方法も大将はとりたい、七日七日に経巻と仏像の供養をすることなども言い置いて、暗くなったのに帰って行く時、あの人がいたならば今夜は帰ることでないのであると悲しかった。尼君の所へ人をやったが、
「私と申すものが凶事のしるしのように思われまして、心をめいらせておりますこのごろは、以前よりもいっそうぼけてしまいまして、うつ伏しに寝《やす》んだままでおります」
 と言い、話しに出てこなかったので、しいて逢おうとは言わなかった。
 途《みち》すがら薫は浮舟を早く京へ迎えなかったことの後悔ばかりを覚えて、水の音の聞こえてくる間は心が騒いでしかたがなかった。遺骸だけでも捜してやることをしなかったと残念でならないのであった。どんなふうになってどこの海の底の貝殻《かいがら》に混じってしまったかと思うと遣瀬《やるせ》なく悲しいのであった。
 常陸夫人は京に産をする娘のあるために潔斎潔斎ときびしく言われる家へははいれないで、他のところにいて悲しみの休む間《ひま》もないのである、その娘もまたどうなることかと不安だったがそれは安産した。穢《けが》れがあってはこれも見に行くことができないのである、そのほかの子供たちのことも皆忘れたようになり、茫然《ぼうぜん》としている時に右大将からそっと使いが来て手紙をもらった。ぼけている心にもそれはうれしかったが、また悲しくもなった。
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思いがけぬ不幸にあい、まずあなたに悲しみを訴えたいと思ったのですが、心が落ち着かず、また涙に目も暗くなる気がして実行はできませんでした。ましてあなたはどんなに悲しんでおいでになることだろう。涙に沈んでおいでになることだろうと思いますと、手紙をあげてもお読みにはなれまいと遠慮も申しているうちに日がずんずんとたちました。人生の常なさがことごとに形となってわれらをおびやかします。この悲しみにも堪える力の許されて、私が生きていましたなら、故人の縁のあった者として何かのことは御相談もしてください。
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 などとこまやかな心で書かれたものだった。使いにはあの大蔵|大輔《たゆう》が来たのである。
「すべてを気長に考えていたものですから、かなり月日はたっていても、必ずしも私を誠意のある婿とは思ってくださらなかったでしょう。しかし今は何につけてもあなたの御一家のことは念頭に置いて忘れますまい。またそのように内々信じてくだすって、お力になるものと思っていてください。小さい息子《むすこ》さんたちもあるそうですが、仕官をおさせになる場合には必ず後援をするつもりで私はいます」
 と、言葉でも伝えさせた。ひどく忌む性質の穢れでもないからと言って、夫人はしいて大輔を座敷へ招じた。そして返事を泣く泣く書いていた。
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悲しい思いをいたしますだけでは死なれませぬ命を歎いております私へ、もったいないおいたわりの言葉などのいただけますとは夢想もいたしませんでした。故人がおりました間、心細い様子は見ておりながら、それは私自身の無力からであると存じまして、ただおそれ多い行く末かけてのあたたかいお言葉一つを頼みにいたしておりましたが、死なせましてあとではあの地との因縁が悲しくばかり思われてなりません。いろいろと将来のことでうれしい仰せを賜わりましたことで、命の延びることにもなりまして、今しばらく生きてまいれま
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