が突然|亡《な》くなったのでございます。人生の悲哀がまたしみじみと味わわれまして、寂しい思いをしております。もうそのことはお耳にもどちらからかはいっておりますでしょう」
 と言って、この時になって泣き出した。薫《かおる》としてもこれほど悲しむふうはお見せすまいと自戒していたのであったが、こぼれ始めてはとどめがたい涙になった。その様子に別な意味もあるふうなのを宮もお悟りになり、気の毒に思召したが、素知らぬふうをあそばした。
「御愁傷をお察しします。そのことは昨日ちょっと聞いたのでした。御弔問をしたく思いましたが、秘密にしておありになるのだとも聞いたものですから」
 言葉少なにこうお言いになった。長く言うに堪えがたいお気持ちになっておいでになったのである。
「お目にかけましたら興味をお覚えになりますだけの価値のある女性でしたが、それは私の思いますだけでなくあなたの奥様のほうの縁故のある人でしたから、もう顔など知っておいでになったかもしれません」
 などと少しほのめかして薫は、
「御病気中はうるさい世の中のことなどをお耳に入れましては御安静をお妨げすることになってもよろしくございません。よく御養生をなさいまし」
 と申して辞し去った。非常に悲しがっておいでになった、故人を哀れな存在とは見たが、現在の帝王と后《きさき》があれほど御大切にあそばされる皇子で、御|容貌《ようぼう》といい、学才と申して今の世に並ぶ人もない方で、すぐれた夫人たちをお持ちになりながら、あの人に心をお傾け尽くしになり、修法、読経《どきょう》、祭り、祓《はらい》とその道々で御|恢復《かいふく》のことに騒ぎ立っているのも、ただあの人の死の悲しみによってのことではないか、自分も今日の身になっていて、帝《みかど》の御女《おんむすめ》を妻にしながら、可憐《かれん》なあの人を思ったことは第一の妻に劣らなかったではないか、まして死んでしまった今の悲しみはどうしようもないほどに思われる、見苦しい、こんなふうにはほかから見られまいと忍んでいるのであるがと薫は思い乱れながら「人非木石皆有情《ひとほくせきにあらずみなうじやう》、不如不逢傾城色《しかずけいせいのいろにあはざるに》」と口ずさんで寝室にはいった。葬儀なども簡単に済ませたことを宮も飽き足らず思召したことであろうと哀れに思われて、母の身分がよろしくなくて、異父の弟などが幾人も立ち合ってなどとあとに言われることを避けて急いでしたのであろうがと不愉快に薫は思った。くわしい様子も聞かないでいることも物足らず思われ、自身で宇治へ行ってみたいと思うのであるが、喪の家へそのまま忌の明けるまで籠《こも》っているのも自分としてははばかられる、行くだけ行ってすぐに帰るのも心苦しいことであると思いもだえていた。
 月が変わって、今日は宇治へ行ってみようと薫の思う日の夕方の気持ちはまた寂しく、橘《たちばな》の香もいろいろな連想《れんそう》を起こさせてなつかしい時に、杜鵑《ほととぎす》が二声ほど鳴いて通った。「亡《な》き人の宿に通はばほととぎすかけて音《ね》にのみなくと告げなん」などと古歌を口にしたままではまだ物足らず思われ、二条の院へ兵部卿の宮の来ておいでになる日であったから、橘の枝を折らせて、歌をつけて差し上げた。

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忍び音《ね》や君も泣くらんかひもなきしでのたをさに心通はば
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 宮は中の君の顔の浮舟によく似たのに心を慰めて、二人で庭をながめておいでになる時であった。言外に意味のあるような歌であると宮は御覧になり、

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橘の匂《にほ》ふあたりはほととぎす心してこそ鳴くべかりけれ

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なんだかかかりあいのあるようなことが言われますね。
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 とお返事をあそばした。宮と浮舟の姫君の関係もまたその人の死も何に基因するかも今は皆わかってしまった中の君は、姉の女王《にょおう》も妹の姫君も物思いがもとで皆若死にをしたあとに、自分だけが残っているのは感情の鈍《にぶ》い質であるからであろうか、それといってもいつまでも生きていられることかと心細く思った。宮も隠してお置きになっても、いずれは知れてしまうことであるのに、隔てを置いたままでいるのは苦しいことであると思召して、浮舟との関係を少しは取り繕って夫人へお話しになった。
「だれであるのかをあなたがどこまでも隠そうとしたのが恨めしかったために反発《はんぱつ》的にそんなことにまで進んでしまったのですよ」
 など、泣きも笑いもしながらお語りになる相手が、恋人の姉であることにお慰みになるところも多かった。形式が簡単でなく、ちょっとお身体《からだ》の悪いことのあっても騒ぎがはなはだしくなり、見舞いに集まる人も多く、父の大臣、その息子《むすこ》たちと絶え間なしに病床に付き添っているようなところと変わり、二条の院においでになることは気楽でなつかしい気分を十分お得になられることであったのである。浮舟の死んだことはまだ夢のようにばかりお思われになり、どうして急にそうなったかという不審がお解けにならぬため、例の内記たちをお召しになり、右近を呼びにおつかわしになった。
 母の常陸夫人も宇治川の音を聞くと自身も引き入れられるような悲しみが続くために困って京へ帰って行った。念仏の役を勤める僧だけが頼もしい人のようなかすかな家と見えたが、内記がはいって行っても、人が来るとすぐに外を見まわりに来るような宿直《とのい》の侍もない。今はこうであるのに、あの最後の時にだけはこんな者たちが妨げて宮をお入れしなかったと時方《ときかた》らは思い出して悲しんだ。それほどまでに悲しみにお溺《おぼ》れにならずともよいではないかと、常は非難がましく宮をお思いしている人たちであるが、ここへ来て見ると、あの無理をして通っておいでになったあの場合、その場合が思い出され、宮にお抱かれして船に乗った方の美しかったことなどを思い出すと、だれも心強くなっておられる者はなくなって皆泣いていた。
 右近が出て来て非常に泣くのももっともなことと思われた。宮がこういう思召しで迎えのために自分らをおつかわしになったということを語ると、今になって他の女房たちからも怪しいことと言われ、思われするであろうことが苦しく考えられて、
「まいりましてもよくおわかりいただきますほどな細かなお話がまだできます自信がございません。お四十九日が済みましたあとで、ちょっと外へまいると申すような体裁を作りましても不自然でないころになりました時、私はもう生きても居られない気はいたしますものの、まだ生き延びておられましたなら、お召しがございませんでも伺いまして、ほんとうに夢のようでございました悲しいお話も申し上げたいと思います」
 と言い、今は動きそうにもない。内記も泣いて、
「私は何も細かい御関係のことまでは知らないのですし、事情もわかりませんが、宮様がどんなに深い愛をお持ちになりましたかということだけは存じ上げていたものですから、あなたがたとも急いで御懇意にならずとも、しまいには御主人としてお仕えする方についておいでになる方と思いまして呑気《のんき》にして来たのですが、お亡《かく》れになってはじめてあなたがたにもいろいろと御心配をお掛けしたことが相済まぬ、あなた様はよくお尽くしくださいましたと感謝の念でいっぱいに心がなりました」
 などと言っていた。
「車も宮御自身でお指図《さしず》になってお持たせになったのですから、あき車をまた引かせては帰れません。もう一人の方でも来てくださいませんか」
と内記が言うので、右近は侍従を呼び、
「あなたが伺ってください、私の代わりに」
 と言った。
「あなたでさえもお話を申し上げる自信が持てないのに、私にどうしてそれができましょう。それにしましても忌中の者がお邸《やしき》へまいったりすることは縁起の悪いことではございませんか」
「御病気のためにいろいろなふうに御謹慎をなさらねばならなくなっていらっしゃいますが、そんなこともかまっておいでになれない御様子なのです。また考えてみますと、あれほどお愛しになった方のためには宮様御自身が忌におこもりになってもよろしいわけなのですからね、もう忌の残りが幾日もあるのではないのですから、ぜひお一人だけは来てください」
 内記がこう責めるので、侍従も宮の御様子をおなつかしく思い出している心から、もう一度お目にかかりうる機会などというものはありえないことであるから、こうした時にでもと願うようになり、まいることにした。黒い服ながら引き繕って着た姿はきれいであった。裳《も》は現在では主人のいない家であったから喪の色のも作らなかったため、淡紫《うすむらさき》のを持たせて車に乗った。姫君がおいでになったなら、宮にこうして迎えられておいでになったであろう、自分はその時にお付きして行こうと心にきめていたのであったがと思い出すのは悲しかった。途中をずっと泣きながら侍従は二条の院へまいった。
 兵部卿の宮は侍従の来たしらせをお受けになっても身にしむようにお思われになった。夫人へは恥ずかしくてお話しにはならなかったのである。宮は寝殿のほうへおいでになり、そこの廊のほうへ車を着けさせて侍従を下《お》ろさせになった。
 浮舟《うきふね》のことをくわしく聞こうとあそばすと、そのずっと前から煩悶《はんもん》をし続けていたこと、その前夜にひどく泣いたことなどを言い、
「怪しいほどお口数の少ない方で、内気でいらっしゃいましたから、遺言らしいことは何もなさいませんでした。夢にも自殺などという強いことのおできになるとは思われませんでした」
 などと侍従が話すことによって、宮はいっそうお悲しみが深くなり、命数が尽きて死んだということよりも、どんなに物思いを多くして恐ろしい川へなど身を投げたのであろうと御想像あそばすのが苦しく、その時に見つけることができてとどめえたならばと、沸きかえるような心持ちにおなりになるのであるが、今ではすべてむなしいことであった。
「あのお手紙を始末してお焼きになりました時に、なぜ私らの頭が働かなかったのでございましょう」
 と侍従は言ったりして、夜の明けるまで語っても語り足りないというふうであった。寺からもらった経巻へ書いて母君の返事にした歌のことなどもお話しした。侍従などは何とも宮の思っておいでにならなかった女であったが、哀れに思召すために、
「自分の所にいるがよい。あちらにいる奥さんもあの人には他人でなかったのだから」
 と仰せられたが、
「そうしてお仕えさせていただきましては何も何も悲しいことになりましょう。ともかくもお忌を済ませましてから、どうとも身の振り方を考えます」
 侍従はこう申し上げた。
「また来るがいい」
 こんな人とすらも別れるのを悲しく宮は思召した。浮舟のために作らせておありになった櫛《くし》の箱一具、衣裳《いしょう》箱一つを宮は贈り物にあそばした。その人のためにお設けになった物は多かったのであるが、これはただ内記に託しておこしらえになっただけのものであった。
 突然山荘を出て来て、こうした戴《いただ》き物をして帰っては他の人々が何と思うであろう、少し困ったことであると侍従は思ったのであるが、御辞退のできることでもなかった。
 宇治へ帰った侍従は右近と二人でひそかに櫛の箱と衣箱の衣裳をつれづれなままにこまごまと見た。はなやかな錦繍《きんしゅう》の服と精巧な作の箱、その中の小箱を見ながらも二人は非常に泣いた。喪にこもっている自分たちはこれをどう隠しておればいいかということにも苦心を要した。
 薫も思い余って宇治へ行くことにした。途中からもう昔のことがいろいろと胸へ集まってきて、どんな因縁で八の宮の所へ自分は行き始めたのであろう、二人の女王に失恋をして、父宮から子とも認められなかった人にまで縁が生じ、この一家との結ばれによって物思いばかりを自分はし続ける、尊い悟りをお持ちになった方へ仏の導きで近づき、未来の世
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