の浮舟ぞ行くへ知られぬ
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 こんなお返辞をした。月夜の美と恋人の艶《えん》な容姿が添って、宇治川にこんな趣があったかと宮は恍惚《こうこつ》としておいでになった。
 対岸に着いた時、船からお上がりになるのに、浮舟《うきふね》の姫君を人に抱かせることは心苦しくて、宮が御自身でおかかえになり、そしてまた人が横から宮のお身体《からだ》をささえて行くのであった。見苦しいことをあそばすものである、何人《なにびと》をこれほどにも大騒ぎあそばすのであろうと従者たちはながめた。
 時方の叔父《おじ》の因幡守《いなばのかみ》をしている人の荘園の中に小さい別荘ができていて、それを宮はお用いになるのである。まだよく家の中の装飾などもととのっていず、網代屏風《あじろびょうぶ》などという宮はお目にもあそばしたことのないような荒々しい物が立ててある。風を特に防ぐ用をするとも思われない。垣《かき》のあたりにはむら消えの雪がたまり、今もまた空が曇ってきて小降りに降る雪もある。そのうち日が雲から出て軒の垂氷《つらら》の受ける朝の光とともに人の容貌《ようぼう》も皆ひときわ美しくなったように見えた。宮は人目をお避けになるために軽装のお狩衣姿であった。浮舟の姫君の着ていた上着は抱いておいでになる時お脱がせになったので、繊細《きゃしゃ》な身体つきが見えて美しかった。自分は繕いようもないこんな姿で、高雅なまぶしいほどの人と向かい合っているのではないかと浮舟は思うのであるが、隠れようもなかった。少し着|馴《な》らした白い衣服を五枚ばかり重ねているだけであるが、袖口から裾のあたりまで全体が優美に見えた。いろいろな服を多く重ねた人よりも上手《じょうず》に着こなしていた。宮は御妻妾でもこれほど略装になっているのはお見馴れにならないことであったから、こんなことさえも感じよく美しいとばかりお思われになった。侍従もきれいな若女房であった。右近だけでなくこの人にまで自分の秘密を残りなく見られることになったのを浮舟は苦しく思った。宮も右近のほかのこの女房のことを、
「何という名かね。自分のことを言うなよ」
 と仰せられた。侍従はこれを身に余る喜びとした。別荘|守《もり》の男から主人と思って大事がられるために、時方は宮のお座敷には遣戸《やりど》一重隔てた室《ま》で得意にふるまっていた。声を縮めるようにしてかしこまって話す男に、時方は宮への御遠慮で返辞もよくすることができず心で滑稽《こっけい》のことだと思っていた。
「恐ろしいような占いを出されたので、京を出て来てここで謹慎をしているのだから、だれも来させてはならないよ」
 と内記は命じていた。
 だれも来ぬ所で宮はお気楽に浮舟と時をお過ごしになった。この間大将が来た時にもこうしたふうにして逢ったのであろうとお思いになり、宮は恨みごとをいろいろと仰せられた。夫人の女二《にょに》の宮《みや》を大将がどんなに尊重して暮らしているかというようなこともお聞かせになった。宇治の橋姫を思いやった口ずさみはお伝えにならぬのも利己的だと申さねばならない。時方がお手水《ちょうず》や菓子などを取り次いで持って来るのを御覧になり、
「大事にされているお客の旦那《だんな》。ここへ来るのを見られるな」
 と宮はお言いになった。侍従は若い色めかしい心から、こうした日をおもしろく思い、内記と話をばかりしていた。浮舟の姫君は雪の深く積もった中から自身の住居《すまい》のほうを望むと、霧の絶え間絶え間から木立ちのほうばかりが見えた。鏡をかけたようにきらきらと夕日に輝いている山をさして、昨夜の苦しい路《みち》のことを誇張も加えて宮が語っておいでになった。
 
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峰の雪|汀《みぎは》の氷踏み分けて君にぞ惑ふ道にまどはず
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「木幡《こばた》の里に馬はあれど」(かちよりぞ来る君を思ひかね)などと、別荘に備えられてあるそまつな硯《すずり》などをお出させになり、無駄《むだ》書きを宮はしておいでになった。

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降り乱れ汀《みぎは》に凍《こほ》る雪よりも中空《なかぞら》にてぞわれは消《け》ぬべき
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 とその上へ浮舟は書いた。中空という言葉は一方にも牽引《けんいん》力のあることを言うのであろうと宮のお恨みになるのを聞いていて、誤解されやすいことを書いたと思い、女は恥ずかしくて破ってしまった。
 そうでなくてさえ美しい魅力のある方が、より多く女の心を得ようとしていろいろとお言いになる言葉も御様子も若い姫君を動かすに十分である。
 謹慎日を二日間ということにしておありになったので、あわただしいこともなくゆっくりと暮らしておいでになるうちに相思の情は深くなるばかりであった。右近は例のように姫君のためにその場その場を取り繕い、言い紛らして衣服などを持たせてよこした。次の日は乱れた髪を少し解かさせて、深い紅の上に紅梅色の厚織物などの取り合わせのよい服装を浮舟はしていた。侍従も平常《ふだん》用の裳《も》を締めたまま来ていたのが、あとから送ってこられたきれいなものにすべて脱ぎ変えたので、脱いだほうの裳を宮は浮舟にお掛けさせになり手水を使わせておいでになった。女一《にょいち》の宮《みや》の女房にこの人を上げたらどんなにお喜びになって大事にされることであろう、大貴族の娘も多く侍しているのであるが、これほどの容貌《きりょう》の人はほかにないであろうと、裳を着けた姿からふとこんなことも宮はお思いになった。見苦しいまでに戯れ暮らしておいでになり、忍んでほかへ隠してしまう計画について繰り返し繰り返し宮はお話しになるのである。それまでに大将が来ても兄弟以上の親しみを持たぬというようなことを誓えとお言いになるのを、女は無理なことであると思い、返辞をすることができず、涙までもこぼれてくる様子を御覧になり、自分の目前ですらその人に引かれる心を隠すことができぬかと胸の痛くなるようなねたましさも宮はお覚えになった。恨み言も言い、御自身のお心もちを泣いてお告げになりもしたあとで、第三日めの未明に北岸の山荘へおもどりになろうとして、例のように抱いて船から姫君をお伴いになるのであったが、
「あなたが深く愛している人も、こんなにまで奉仕はしないでしょう。わかりましたか」
 とお言いになると、そうであったというように思って、浮舟がうなずいているのが可憐《かれん》であった。右近は妻戸を開いて姫君を中へ迎えた。そのまま別れてお帰りにならねばならぬのも、飽き足らぬ悲しいことに宮は思召した。
 こんなお帰りの場合などはやはり二条の院へおはいりになるのが例であった。宮はそれ以来健康をおそこねになり、召し上がり物などは少しもおとりにならなかった。日がたつにしたがいお顔色が青んでゆき、お痩《や》せになるのを、御所でもその他の所々でも非常に気づかわれ、お見舞いの人が多くまいるために人目の隙に宇治へおやりになるお手紙もこまごまとはお書きになれなかった。
 山荘のほうでもあのやかましやの乳母《めのと》のまま[#「まま」に傍点]が娘の産でしばらくほかへ行っていたのがこのごろは帰っているために、宮のお文《ふみ》を心おきなく読むことはできなくなった。姫君の寂しい生活も、今後どんなふうに大将がよき待遇をしようとするかという夢を持つことで母の常陸《ひたち》夫人も心を慰めていたのであったが、公然ではないようであるが、近いうちに京へ迎えることに薫《かおる》のきめたことで、世間への体裁もよくなるとうれしく思い、新しい女房を捜し始め、童女の見よいのがあると宇治へ送るようにしていた。浮舟自身もようやく開かれていく光明の運命の見えだしたことで、初めから望んだのはこのほかのことではなかった、この日を待ち続けていたのであると思いながらも、一方で熱情をお寄せになる宮のことを思い出し、愛が足らぬとお恨みになったこと、その時あの時のお言葉と面影が始終つきまとって離れず、少し眠るともう夢に見る、困ったことであると思った。
 雨が幾日も降り続いたころ、いっそう宇治は通って行くべくもない世界になったように宮は思召され、恋しさに堪えられなくおなりになり「たらちねの親のかふこの繭ごもりいぶせくもあるか妹《いも》に逢はずて」親の愛護の深いのは苦しいものであると、もったいないことすらお思われになった。恋の思いを多くの言葉でお書き続けになり、

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ながめやるそなたの雲も見えぬまで空さへくるる頃《ころ》のわびしさ
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 こんな歌もお添えになった筆まかせの書体もみごとであった。高い見識があるのでもない若い浮舟はこれにさえ多く動かされ、その人と同じ恋しさも覚えたのであるが、初めに永久の愛の告げられた大将の言葉にはさすがに奥深いものがあり、他に優越した人格の備わっていることなども思われ、異性として親しんだ最初の人であるためか、今も一方へ没頭しきれぬ感情はあった。自分の醜聞が耳にはいって、あの人にうとまれては生きておられぬ気がする、自分が幸福な女性になることを待ち続ける母も、不行跡な娘であったと幻滅を覚え、世間体を恥じることであろう、また現在は火の恋をお持ちになる方も、多情なお生まれつきを聞いているのであるから、どうお心が変わるかしれない、またそうにもならず京のどこかへ隠されて妻妾《さいしょう》の一人として待遇されることができてくれば二条の院の女王《にょおう》からどんなに不快に思われることであろう。隠れていてもいつか人に知れるものであるから、あの秋の日暮れ時に一目お逢いしただけの縁でもこうして捜し出される結果を見たように、姉である方に、自分がどうしているか、どんな恋愛からどうなったかが知れていかないはずはないと、考えをたどっていけば、宮の御手へ将来をゆだねてしまうのは善事を行なうことでない、大将に愛されなくなるほうがどんなに苦痛であるかしれぬと煩悶している時に薫からの使いが山荘へ来た。かわるがわるに二人の男の消息を読むことは気恥ずかしくて、浮舟はまださっきの宮のほうの長い手紙ばかりを寝ながら見ていると、それと知って侍従と右近は顔を見合わせて、姫君の心はのちの情人に移ったと言わないようで言っていた。
「ごもっともですわ。殿様は二人とない美男でいらっしゃると思っていましたのは前のことで、宮様はなんと申してもすぐれていらっしゃいますもの、お部屋着になっておいでになった時の愛嬌《あいきょう》などはどうだったでしょう。私ならその方があれまではげしく思っておいでになるのを見れば黙視していられないでしょう。中宮《ちゅうぐう》様の女房を志願して、そして始終お逢いのできるようにしますわ」
 こう言っているのは侍従である。
「危険な人ね、あなたは。殿様よりすぐれた風采《ふうさい》の方がどこにあるものですか。お顔はまあともかくも、お気質《きだて》なり、御様子なりすばらしいのは殿様ですよ。何にしてもお姫様はどうおなりあそばすかしら」
 右近はこう言っていた。今まで一人で苦心をしていた時よりも侍従という仲間が一人できて、嘘《うそ》ごとが作りやすくなっていた。あとから来たほうの手紙には、
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思いながら行きえないで日を送っています。ときどきはあなたのほうから手紙で私を責めてくださるほうがうれしい。私の愛は決して浅いものではないのですよ。
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 などと書かれ、端のほうに、

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ながめやる遠《をち》の里人いかならんはれぬながめにかきくらすころ

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平生以上にあなたの恋しく思われるころです。
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 とも書かれてあった。白い色紙を立文《たてぶみ》にしてあった。文字も繊細《きゃしゃ》な美しさはないが貴人の書らしかった。宮のお手紙は内容の多いものであったが、小さく結び文にしてあって、どちらにもとりどりの趣があるのである。
「さきのほうのお返事を、だれも見ませんうちにお書き
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