昨夜のできごとを知っている女房たちは、
「実際はどんなことだったのでしょう、おかわいらしいお顔をしていらっしゃるあの方を、奥様はあんなに大事にしておいでになっても、もう泥土《でいど》に落ちた花ではありませんか、気の毒な」
 と一人が言うのを、右近は、
「そこまでは進まなかったのでしょう。あの乳母《ばあや》が私をつかまえて、放すものかというようにもしてこぼしていた話にも、そこまでも行った御|冗談《じょうだん》だったとは言ってませんでしたよ。宮様も近づきながら恋を成り立たせえなかったような意味の詩を口ずさんでおいでになりましたもの。けれどもそれはわざとそうお見せになろうとするためか私は知りませんよ」
 やや釈明的にも言い、二人は姫君に同情した。
 乳母《めのと》は車の拝借を申し出て常陸《ひたち》様の所へ帰って行った。常陸夫人に昨夜のことを報告するとはっと驚いたふうが見えた。女房たちもけしからぬことだと言いもし、思いもするであろう、夫人はまたどんなふうに思うことか、嫉妬《しっと》の憎しみというものは貴婦人も何もいっしょなのであるからと、自身の性情から一大事のように思い、じっとはしておられず、その夕方に二条の院へまいった。宮のおいでにならぬ時であったから常陸の妻は気安く思い、
「まだ幼稚なところの改まりません方をおそばへ置いてまいりましたものですから、あなた様にお任せして安心はさせていただいていながら、気がかりでならぬような思いもいたされまして、いっこう落ち着いてもいられないふうでいますものですから、下品な人たちに腹をたてられたり、怨《うら》まれたりもいたしましてございます」
 と昔の中将の君は言いだした。
「そんなにあなたが言うほど幼稚な人でもないのに、気がかりでならぬように言って興奮しておいでになるから、私はおこられるのではないかと心配ですよ」
 と笑った夫人の眼つきの気品の高さにも常陸の妻は心の鬼から親子を恥知らずのように見られている気がした。胸の中ではどんなに口惜しがっておいでになるかもしれぬと思うと、あの問題には触れていくことができないのであった。
「こうしておそばへ置いていただきますことは、長い間の念願のかないました気が私もしまして、世間の人に聞かれましても、あの人の名誉になることと存じますが、しかし考えますれば、あまりにも無遠慮なことでございます。尼にして深い山へ入れてしまいましたほうが賢明ないたし方だったのでしょうが」
 と言って泣くのも中の君にはかわいそうで、
「ここにお置きになって、何もあなたが気がかりに思う必要はないのですよ。十分のことはできなくても、私が愛していないのなら不安は不安でしょうが、そうではありませんよ。悪い癖をお出しになる方が時々ここへはおいでになるけれど、女房たちだって皆知っていて警戒をしますから、あの人の迷惑になるようにはしないだろうと思いますけれど、あなたはどんな想像をしておいでになるの」
 こう言っていた。
「あなた様の御愛情を疑うということは決してございません。昔の宮様があの方を子にしてくださいませんでしたことも、あなたへお恨みする筋はないのでございます。それは別にいたしましても、あなた様と私とは血縁があるのでございますから、それだけでおすがりもいたすのでございます」
 などと真心を見せて言ったあとで、
「明日《あす》と明後日《あさって》があの方のために大事な謹慎日なのでございますが、こういたしましたお出入りの人の多い所でない場所でその間を過ごさせまして、またおつれいたしましょう」
 と常陸夫人は言い、姫君をつれて行こうとするのであった。中の君はこれを本意《ほい》ないことに思ったが、とめることはできなかった。あのできごとに心の乱れている女であったから、あまり長く話もせずに去った。
 姫君のための何かの場合に使おうと思い、この人は家をかねて一つ用意させてあった。三条辺でしゃれた作りの家なのであるが、まだまったくはでき上がっていず、行き渡った装飾がされているのでもなかった。
「あなた一人で苦労が尽きない。薄命な自分などは、明日というようなものを頼みにせず早く死んでおればよかったのですよ。自分だけは生まれた家にもふさわしくない地方官の家の中にはいって、一生をしんぼうもしよう、ただあなたをそうした人と同じように扱わせることが忍ばれないことに思われましてね、お姉様をおたよらせしてやったのですが、醜いことがそこで起こればいっそう世間体の恥ずかしいことになります。いやなことですよ。不都合な家でもこの家に隠れていらっしゃい。だれにも知れないようにしてね、私はどんなにでもしてあなたのためによくしてあげますから」
 こう言い置いて常陸の妻は娘のところから帰ろうとした。姫君は泣いて、生きているだけでさえ人迷惑な自分らしいと気をめいらせているのがかわいそうに見えた。親の心にはまして不憫《ふびん》で、もったいないほど美しいこの人を、その価値にふさわしい結婚がさせたいと思う心から、二条の院でのできごとのようなことが噂《うわさ》になり、その名の傷つけられるのを残念がっているのであった。聡明《そうめい》な点もある女ながらすぐ腹をたてるわがままなところも持つ女なのである。守《かみ》の本宅のほうにも隠して住ませておくことはできたのであるが、そうしたみじめな起居《おきふし》はさせたくないとして別居をさせ始めたのであって、生まれてからずっといっしょにばかりいた母と子であるため、双方で心細く思い、悲しがっているのである。
「ここはまだよくでき上がっていないで、危険でもある家ですからね、よく気をおつけなさい。宿直《とのい》をする侍のことなども私はよく命じておきましたけれど、まったく安心はできない。でも家のほうで腹をたてたり、恨んだりする人がありますから帰りますよ」
 泣く泣く母は帰って行った。
 婿の少将の歓待を最も大事なこととしている守《かみ》は、妻がいっしょに家にいてしないのを怒《おこ》るのである。夫人は不愉快で、この少将のために姫君の身に災難も降りかかることになったと、だれよりも愛する子のことであったから、反感ばかりがその男に持たれて、気を入れた世話などはできなかった。二条の院の宮の御前でみすぼらしく見た時から軽蔑《けいべつ》する気になった夫人であったから、姫君の婿として大事に扱ってみたいなどと好意を持ったことは忘れていた。家ではどんなふうに見えるであろう、まだ自家の中で打ち解けた姿をしているところを自分は見なかったと思い、少将がくつろいでいる昼ごろに今では守《かみ》の愛嬢の居室《いま》に使われている西座敷へ来て夫人は物蔭《ものかげ》からのぞいた。柔らかい白綾《しろあや》の服の上に、薄紫の打ち目のきれいにできた上着などを重ねて、縁側に近い所へ、庭の植え込みを見るために出てすわっている姿は、決して醜い男だとは見えない。娘は未完成に見える若さで、無邪気に身を横たえていた。母の目には兵部卿《ひょうぶきょう》の宮が夫人と並んでおいでになった時の華麗さが浮かんできて、どちらもつまらぬ夫婦であるとまた思った。そばにいる女房らに冗談《じょうだん》を言っている余裕のある様子などをながめていると、この間のように美しい気《け》もない男とは見えないため、二条の院でのぞいた時のは他の少将であったかと思う時も時、
「兵部卿の宮のお邸《やしき》の萩《はぎ》はきれいなものだよ。どうしてあんな種があったのだろう。同じ花でも枝ぶりがなんというよさだったろう。この間伺った時にはもうすぐお出かけになる時だったから折っていただいて来ることができなかったよ。その時『うつろはんことだに惜しき秋萩に』というのをお歌いになった宮様を若い人たちに見せたかったよ」
 と言うではないか。そして少将は自身でも歌を作っていた。あの利己心をなまなましく見せた時のことを思うと人とも見なされない男で、はなはだしく幻滅を感じさせた男に、ろくな歌はできるはずもないと母はつぶやかれたのであるが、そうまでも軽蔑してしまうことのできぬふうはさすがにしているため、どう答えるかためそうと思い、

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しめゆひし小萩が上もまよはぬにいかなる露にうつる下葉ぞ
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 と取り次がせてやると、少将は姑《しゅうとめ》を気の毒に思って、

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「宮城野《みやぎの》の小萩がもとと知らませばつゆも心を分かずぞあらまし
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 そのうち自身でこの申しわけをさせていただきましょう」
 と返事を伝えさせた。八の宮のことを聞いて知ったらしいと思うと、いっそうその娘が大事に思われ、どうして他の子などといっしょに扱われようと考えられる母であった。理由もなくこの時に薫《かおる》の面影が目に見えてきて、心の惹《ひ》かれる思いがした。同じように美貌《びぼう》でおありになるとは宮を思ったが、こうした憧憬《どうけい》を持って思うことはできない。娘を侮って無法に私室へ闖入《ちんにゅう》あそばされた方であると思うとくちおしいのである。大将は娘に興味を持っておいでになりながら直接に恋の手紙を送ろうともせず、表面はあくまで素知らぬ顔で通しているのも階級的な差別に因《もと》づくと思われるのはつらいがりっぱな態度であるなどと、母親は薫にばかり好感の持たれる自分を認め、若い姫君はまして二人の貴人を比較して見て大将に心の傾くことであろうと思われる。姫君の婿にしようなどと少将のような無価値な男を思ったことが自分にあったのが恥ずかしいなどと母は姫君についての物思いばかりをし続け、ああもして、こうもなってとよいほうへと空想を進めるのであったが、また反省してみて、自分の願いは実現が困難なことである、あの高貴さと、あの風采《ふうさい》の備わった大将は、もっともっと資格の完全な人を愛するはずである、顧みられる価値が姫君にあるかどうかは疑わしい。世間を見ると、容貌と性情は尊卑の階級によって自然に備わるものらしい。自分の子供たちの中に、だれ一人姫君に近い容貌《ようぼう》を持つ者がないではないか、少将は家ではすぐれた美男のように良人《おっと》などは見、自分ももとはそう思っていたのが、兵部卿の宮とお見くらべした時に、つまらなさを知ったということからでも推理していくことができるのである。現代の帝王の御秘蔵の内親王を妻にしている人の、いま一人の妻に姫君を擬してみるのは恥ずかしいと、こんなことを考えていくと、しまいには頭も茫《ぼう》としてくるのであった。
 仮り住居《ずまい》にいる姫君は退屈していた。庭の草も目ざわりになるばかりできたないし、東国なまりの男たちばかりが出入りする人影であったし、慰めになる花はなかったし、落ち着かぬ所に晴れ晴れしからず暮らしている若い姫君の心には、宮の夫人が恋しく思われてならなかった。闖入《ちんにゅう》しておいでになった宮の御様子もさすがに思い出されて、内容はこまごまともわからなかったものの身にしむお話しぶりでいろいろと自分へお告げになったことがあった、お帰りになったあとで周囲に残っていたかんばしいにおいがまだ今も自分の身に残っている気がして、恐ろしい思いをしたことさえ姫君は追想された。母のほうからはしみじみと情のこもった手紙が送って来られた。こんなにも愛してくれる母に心配ばかりをかける自身の運命が悲しくて姫君は泣いてしまった。
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馴《な》れないあなたの日送りはどんなにつれづれかと思います。しばらくしんぼうをしていらっしゃい。
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 とも書かれてあった、返事に、
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退屈なことなどはなんでもありません。かえって今が気楽でよいという気もします。

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ひたぶるに嬉《うれ》しからまし世の中にあらぬ所と思はましかば
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 と姫君は書いた。この歌の幼稚な表現にも母の夫人はほろほろと泣いて、こんなに漂泊人《さすらいびと》のようにさせておく親の無力さが
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