尼が調じて出した。山中の途《みち》は陰気であったが山荘のながめは晴れ晴れしかった。自然の川をも山をも巧みに取り扱った新しい庭園をながめて、昨日までの仮|住居《ずまい》の退屈さが慰められる姫君であったが、どう自分を待遇しようとする大将なのであろうとその点が不安でならなかった。薫は京へ手紙を書いていた。
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未完成でした仏堂の装飾などについて、いろいろ指図《さしず》を要することがありまして、昨夜はそれに時を費やし、また今日はそれを備えつけるのに吉日でしたから、急に宇治へ出かけたのでした。ここまで来ますと疲れが出ましたのとともに、謹慎日であることに気がついたものですから、明日までずっと滞留することにしようと思います。
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というような文意で、母宮へも、夫人の宮へも書かれたのである。
部屋着になって、直衣《のうし》姿の時よりももっと艶《えん》に見える薫のはいって来たのを見ると、姫君は恥ずかしくなったが、顔を隠すこともできずそのままでいた。母の夫人の作らせた美服をいろいろと重ねて着ているが、少し田舎《いなか》風なところが混じって見えるのにも、昔の恋人が着古したものを着ながらも貴女《きじょ》らしい艶なところの多かったことの思い出される薫であった。姫君の髪の裾《すそ》はきわだって品よく美しかった。女二の宮のお髪《ぐし》のすばらしさにも劣らないであろうと薫は思った。そんなことから、この人をどう取り扱うべきであろう、今すぐに妻の一人としてどこかの家へ迎えて住ませることは、世間から非難を受けることであろうし、そうかといって他の侍妾《じしょう》らといっしょに女房並みに待遇しては自分の本意にそむくなどと思われて心を苦しめていたが、当分は山荘へこのまま隠しておこうと思うようになった。しかし始終逢うことができないでは物足らず寂しいであろうと考えられ、愛着の覚えられるままにこまやかに将来を誓いなどしてその日を暮らした。八の宮のことも話題にして、昔の話もこまごまと語って聞かせ、戯れもまた言ってみるのであったが、女はただ恥ずかしがってばかりいて、何も言わぬのを物足らず薫は思ったが、欠点らしくは見えても、こうしたたよりないところのあるのは、よく教育していけばよいのである、田舎《いなか》風に洒落《しゃれ》たところができていて、品悪く蓮葉《はすっぱ》であれば、人型《ひとがた》もまた無用とするかもしれないのであると思い直しもした。山荘に備えつけてあった琴や十三|絃《げん》を出させて、こうしたたしなみはましてないであろうと残念な気のする薫は一人で弾《ひ》きながら、宮がお亡《かく》れになったのち、この家で楽器などというものに久しく手を触れたことがなかったと、自身の爪音《つまおと》さえも珍しく思われ、なつかしい絃声を手探りで出し、目は昔の夢を見るように外へ注いでいるうちに、月も出てきた。宮の琴の音は、音量の豊かなものではなかったが、美しい声が出て身にしむところがあったと思い、
「あなたが宮様もお姉様もおいでになったころに、ここで大人《おとな》になっていたら、あなたの価値はもっとりっぱになっていたでしょうね。宮様の御様子は子でない私でさえ始終恋しく思い出されるのですよ。どうしてあなたは遠い国などから長く帰れなかったのだろう」
薫のこう言うのを恥ずかしく聞いて、手で白い扇をもてあそびながら横たわっている姫君の顔色は、透くように白くて、艶《えん》な額髪の所などが総角《あげまき》の姫君をよく思い出させ、薫は心の惹《ひ》かれるのを覚えた。ほかの教育はともかく、こうした音楽などは自分の手で教えて行きたいと薫は思い、
「こんなものを少しやってみたことがありますか。吾《わ》が妻《つま》という琴などは弾いたでしょう」
などと問うてみた。
「そうしたやまと言葉も使い馴《な》れないのですもの、まして音楽などは」
姫君はこう答えた。機智《きち》もありそうには見えた。この山荘に置いて、思いのままに来て逢うことのできないのを今すでに薫は苦痛と覚えるのは深く愛を感じているからなのであろう。楽器は向こうへ押しやって、「楚王台上夜琴声《そわうだいじやうのよるのきんせい》」と薫が歌い出したのを、姫君の上に描いていた美しい夢が現実のことになったように侍従は聞いて思っていた。その詩は前の句に「斑女閨中秋扇色《はんによけいちゆうしうせんのいろ》」という女の悲しい故事の言われてあることも知らない無学さからであったのであろう。悪いものを口にしたと薫はあとで思った。
尼君のほうから菓子などが運ばれてきた。箱の蓋《ふた》へ楓《かえで》や蔦《つた》の紅葉《もみじ》を敷いてみやびやかに菓子の盛られてある下の紙に、書いてある字が明るい月光で目についたのを、よく読もうと顔を寄せ
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