こへおいでになることがおできにならないのはお気の毒であると思っているのであるが、そうした人たちだけをつれて山荘へおはいりになることも御実行のできないことであった。人々の作った詩のおもしろい一節などを皆口ずさんだりしていて、歌のほうも平生とは違った旅のことであるから相当に多くできていたが、酒酔いをした頭から出たものであるから、少しを採録したところで、佳作はなくつまらぬから省く。
山荘では宮の一行が宇治を立って行かれた気配《けはい》を相当に遠ざかるまで聞こえた前駆の声で知り、うれしい気持ちはしなかった。御歓待の仕度《したく》をしていた人たちは皆はなはだしく失望をした。大姫君はましてこの感を深く覚えているのであった。やはり噂されるように多情でわがままな恋の生活を事とされる宮様らしい、よそながら恋愛談を人のするのを聞いていると、男というものは女に向かって嘘《うそ》を上手《じょうず》に言うものであるらしい、愛していない人を愛しているふうに巧みな言葉を使うものであると、自分の家にいるつまらぬ女たちが身の上話にしているのを聞いていた時は、身分のない人たちの中にだけはそうしたふまじめな男もあるのであろう、貴族として立っている人は、世間の批評もはばかって慎むところもあるのであろうと思っていたのは、自分の認識が足りなかったのである、多情な方のように父宮も聞いておいでになって、交際はおさせになったがこの家の婿になどとはお考えにならなかったものらしかったのに、不思議なほど熱心に求婚され、すでにもう縁は結ばれてしまい、それによっていっそう自分までが心の苦労を多くし不幸さを加えることになったのは歎かわしいことである。接近して愛の薄くおなりになった宮のお相手の妹を、中納言は軽蔑《けいべつ》して考えないであろうか、りっぱな女房がいるのではないが、それでもその人たちがどう思うかも恥ずかしい。人笑われな運命になったと煩悶《はんもん》することによって姉女王は健康をさえもそこねるようになった。当の中の君はたまさかにしかお逢《あ》いしない良人《おっと》であるが、熱情的な愛をささやかれていて、今眼前にどんなことがあろうともお心のまったく変わるようなことはあるまい、常においでになることのできないのも余儀ない障《さわ》りがあるからに相違ないとたのむところもあるのであった。ここしばらくおいでにならなかったのであるから切なく思わぬはずもないのに、近くへお姿をお現わしになっただけで行っておしまいになったことでは恨めしく残念な思いをして気をめいらせているのが、総角《あげまき》の姫君には堪えられぬほど哀れに見えた。世間並みの姫君らしい宮殿にかしずかれていたならば、この邸《やしき》がこんな貧弱なものでなければ宮は素通りをなされなかったはずであるのにと思われるのである。自分もまだ生きているとすれば、こうした目にあわされるであろう、中納言がいろいろな言葉で清い恋を求めるというのも、自分をためそうとする心だけであって、自分一人は友情以上に出まいとしていても、あの人の本心がそれでないのでは行くところは知れきったことで、自分のしりぞけるのにも力の限度がある、家にいる女たちは媒介役の失敗に懲りもせず、今もどうかして中納言を自分の良人《おっと》にさせたいと望まない者もないのであるから、自分の気持ちは尊重されず、結果としては自分があの人の妻にされてしまうことになるのであろう、これが取りも直さず父君が、みずからをよく護《まも》っていくようにと仰せられたことに違いない、不幸な自分たちは母君をも早く失い、父宮にもお別れしてしまったが、薄命な者であるからどうなってもよいと自身を軽く扱って、見苦しい捨てられた妻というものになり、お亡《な》くなりになったあとの父君のお心までをお悩ましさせることになるのは悲しい。自分一人だけでもそうした物思いに沈まないで済む処女を保ったままで病死をしてしまいたいと、こんなことを明け暮れ思い続ける大姫君は、心細い死の予感をさえ覚えて、中の君を見ても哀れで、自分にまで死に別れたあとではいっそう慰みどころのない人になるであろう、美しいこの人をながめることが自分の唯一の慰安で、どうかして幸福な女にさせたいとばかり願っていた、どんなに高貴な方を良人に持ったといっても、今度のような侮辱を受けながらなお尼にもならず妻として孤閨《こけい》を守っていくことは例もないほど恥ずかしいことに違いないと、それからそれへと思い続けていく大姫君は、自分ら姉妹《きょうだい》は現世で少しの慰めも得られないままで終わる運命を持つものらしいと心細くなるのであった。
兵部卿の宮は御帰京になったあとでまたすぐに微行で宇治へお行きになろうとしたのであったが、
「兵部卿の宮様は宇治の八の宮の姫君とひそかな関係を結んでおいでになりまして、突然に時々近郊の御旅行と申すようなことをお思い立ちになるのでございます。御軽率すぎることだと世間でもよろしくはお噂《うわさ》いたしません」
と左大臣の息子《むすこ》の衛門督《えもんのかみ》がそっと中宮へ申し上げたために、中宮も御心配をあそばし、帝《みかど》も常から宮のお身持ちを気づかわしく思召していられたのであったから、これによっていっそう監視が厳重になり、兵部卿の宮を宮中から一歩もお出しにならぬような計らいをあそばされた。そして左大臣の六女との結婚はお諾《ゆる》しにならなかった宮へ、強制的にその人を夫人になさしめたもうというようなこともお定めになった。中納言はそれを聞いて憂鬱《ゆううつ》になっていた。自分があまりに人と変わり過ぎているのである、どんな宿命でか八の宮が姫君たちを気がかりに仰せられた言葉も忘られなかったし、またその女王たちもすぐれた女性であるのを発見してからは、世間に無視されていることがあまりに不合理に惜しいことに思われ、人の幸福な夫人にさせたいことが念頭を去らなかったし、ちょうど兵部卿の宮も熱心に希望あそばされたことであったために、自分の対象とする姫君は違っているのに、今一人の女王を自分に娶《めと》らせようと当の人がされるのをうれしくなく思うところから、宮とその方とを結ばせてしまった。今思うとそれは軽率なことであった。二人とも自分の妻にしても非難する人はなかったはずである、今さら取り返されるものではないが、愚かしい行動をしたと煩悶《はんもん》をしているのである。
宮はまして宇治の女王《にょおう》がお心にかからぬ時とてもなかった。恋しくお思いになり、知らぬまにどんなことになっているかもしれぬという不安もお覚えになるのである。
「非常にお気に入った人がおありになるのだったら、私の女房の一人にしてここへ来させて、目だたない愛しようをしていればいいでしょう。あなたは東宮様、二の宮さんに続いて特別なものとして未来の地位をお上《かみ》はお考えになっていらっしゃるのですから、軽率な恋愛問題などを起こして、人から指弾されるのはよろしくありませんからね」
こんなふうに中宮《ちゅうぐう》は始終御忠告をあそばされるのであった。
はげしく時雨《しぐれ》が降って御所へまいる者も少ない日、兵部卿の宮は姉君の女一《にょいち》の宮《みや》の御殿へおいでになった。お居間に侍している女房の数も多くなくて、姫君は今静かに絵などを御覧になっているところであった。几帳《きちょう》だけを隔てにしてお二方はお話しになった。限りもない気品のある貴女《きじょ》らしさとともに、なよなよとした柔らかさを備えたもうた姫宮を、この世にこれ以上の高華な美を持つ女性はなかろうと、昔から兵部卿の宮は思っておいでになって、これに近い人というのは冷泉《れいぜい》院の内親王だけであろうと信じておいでになり、世間から受けておいでになる尊敬の度も、御容姿も、御|聡明《そうめい》さも人のお噂する言葉から想像されて、宮の覚えておいでになる院の宮への恋を、なんらお通じになる機会というものがなく、しかも忘れる時なく心に持っておいでになる兵部卿の宮なのであるが、あの宇治の山里の人の可憐《かれん》で高い気品の備わったところなどは、これらの最高の貴女に比べても劣らないであろうと、姉君のお姿からも中の君が聯想《れんそう》されて、恋しくてならず思召す心の慰めに、そこに置かれてあったたくさんな絵を見ておいでになると、美しい彩色絵の中に、恋する男の住居《すまい》などを描いたのがあって、いろいろな姿の山里の風景も添っていた。恋人の宇治の山荘の景色《けしき》に似たものへお目がとまって、姫君の御了解を得てこの絵は中の君へ送ってやりたいと宮はお思いになった。伊勢《いせ》物語を描いた絵もあって、妹に琴を教えていて、「うら若みねよげに見ゆる若草を人の結ばんことをしぞ思ふ」と業平《なりひら》が言っている絵をどんなふうに御覧になるかと、お心を引く気におなりになり、少し近くへお寄りになって、
「昔の人も同胞《きょうだい》は隔てなく暮らしたものですよ。あなたは物足らないお扱いばかりをなさいますが」
とお言いになったのを、姫宮はどんな絵のことかと思召すふうであったから、兵部卿の宮はそれを巻いて几帳《きちょう》の下から中へお押しやりになった。下向きになってその絵を御覧になる一品《いっぽん》の宮《みや》のお髪《ぐし》が、なびいて外へもこぼれ出た片端に面影を想像して、この美しい人が兄弟でなかったならという心持ちに匂宮《におうみや》はなっておいでになった。おさえがたいそうした気分から、
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若草のねみんものとは思はねど結ぼほれたるここちこそすれ
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こんなことを申された。姫宮に侍している女房たちは匂宮の前へ出るのをことに恥じて皆何かの後ろへはいって隠れているのである。ことにもよるではないか、不快なことを言うものであると思召す姫宮は、何もお言いにならないのであった。この理由から「うらなく物の思はるるかな」と答えた妹の姫も蓮葉《はすは》な気があそばされて好感をお持ちになることができなかった。六条院の紫夫人が宮たちの中で特にこのお二人を手もとでおいつくしみしたのであったから、最も親しいものにして双方で愛しておいでになった。姫宮を中宮は非常にお大事にあそばして、よきが上にもよくおかしずきになるならわしから、侍女なども精選して付けておありになった。少しの欠点でもある女房は恥ずかしくてお仕えができにくいのである。貴族の令嬢が多く女房になっていた。移りやすい心の兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は、そうした中に物新しい感じのされる人を情人にお持ちになりなどして、宇治の人をお忘れになるのではないながらも、逢《あ》いに行こうとはされずに日がたった。
待つほうの人からいえば、これが長い時間に思われて、やはりこんなふうにして忘られてしまうのかと、心細く物思いばかりがされた。そんなころにちょうど中納言が訪《たず》ねて来た。総角《あげまき》の姫君が病気になったと聞いて見舞いに来たのである。ちょっとしたことにもすぐ影響が現われてくるというほどの病体ではなかったが、姫君はそれに託して対談するのを断わった。
「おしらせを聞くとすぐに、驚いて遠い路《みち》を上がった私なのですから、ぜひ御病床の近くへお通しください」
と言って、不安でこのままでは帰れぬふうを見せるために、女王の病室の御簾《みす》の前へ座が作られ、薫《かおる》はそこへ行った。困ったことであると姫君は苦しがっていたが、そう冷ややかなふうは見せるのでもなかった。頭を枕《まくら》から上げて返辞などをした。宮が御意志でもなくお寄りにならなかった紅葉《もみじ》の船の日のことを薫は言い、
「気永《きなが》に見ていてください。はらはらとお心をつかってお恨みしたりなさらないように」
などと教えるようにも言う。
「私は格別愚痴をこぼしたりはいたしませんが、亡《な》くなられました宮様が、御教訓を残してお置きになりましたのは、こうしたこともあらせまい思召しかと思いまして、あの人がかわいそうでございます」
それに続い
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