々しく他人の妻になってしまうようなことはないと信じられる人であるからと、いつもゆとりのある心のこの人は、恋に心を焦《こが》しながらもそれをおさえることはできた。
「あなたの御意志はどこまでも尊重しますが、こうして物越しでお話ししていることの不満足感を救ってだけはください。先日のように近くへまいってお話をさせていただきたいのです」
と責めてみたが、
「このごろの私は平生よりも衰えていましてね、顔を御覧になって不愉快におなりになりはしないかと、どうしたのでしょう、そんなことの気になる心もあるのですよ」
と言い、ほのかに総角の姫君の笑った気配《けはい》などに怪しいほどの魅力のあるのを薫は感じた。
「そんなつきも離れもせぬお心に引きずられてまいって、私はしまいにどうなるのでしょう」
こんなことを言い、男は歎息をしがちに夜を明かした。
兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は、薫が今も一人臥《ひとりね》をするにすぎない宇治の夜とは想像もされないで、
「中納言が主人がたぶって、寝室に長くいるのが恨めしい」
とお言いになるのを、不思議な言葉のように中の君はお聞きしていた。
無理をしておいでになっても、すぐにまたお帰りにならねばならぬ苦しさに宮も深い悲しみを覚えておいでになった。こうしたお心を知らない中の君は、どうなってしまうことか、世間の物笑いになることかと歎いているのであるから、恋愛というものはして苦しむほかのないことであると思われた。京でも多情な名は取っておいでになりながら、ひそかに通ってお行きになる所とてはさすがにない宮でおありになった。六条院では左大臣が同じ邸内に住んでいて、匂宮の夫人に擬している六の君に何の興味もお持ちにならぬ宮をうらめしいようにも思っているらしかった。好色男的な生活をしていられるといって、容赦なく宮のことを御非難して帝《みかど》にまでも不満な気持ちをお洩《も》らし申し上げるふうであったから、八の宮の姫君という、だれにも意外な感を与える人を夫人としてお迎えになることにはばかられるところが多かった。軽い恋愛相手にしておいでになる女性は、宮仕えの体裁で二条の院なり、六条院なりへお入れになることも自由にお計らいになることができて、かえってお気楽であった。そうした並み並みの情人とは少しも思っておいでにならないのであって、もし世の中が移り、帝《みかど》と后《きさき》のかねての御希望が実現される日になれば、だれよりも高い位置にこの人をすえたいと思うのであるからと、現在の宮のお心は宇治の中の君に傾き尽くされていて、その人をいかにして幸福ならしめ常に相見る方法をいかにして得ようかとばかり考えておいでになった。中納言は火災後再築している三条の宮のでき上がり次第によい方法を講じて大姫君を迎えようと考えていた。やはり人臣の列にある人は気楽だといってよい。
これほど愛しておいでになりながら、結婚を秘密のことにしておありになるために、宮にも中の君にも煩悶《はんもん》の絶えないらしいことが気の毒で、このお二人の関係を自分から中宮《ちゅうぐう》に申し上げて御了解を得ることにしたい。当座はお騒がれになって、めんどうな目に宮はおあいになるかもしれぬが、中の君のほうのためを思えば、それは一時的なことであって、直接苦痛になることもあるまい、こんなふうに夜も明かし果てずに帰ってお行きになる宮のお気持ちのつらさはさぞとお察しができて心苦しい、結婚が公然に認められるようになれば、中の君に十分な物質的援助をして、宮の夫人たるに恥のない扱いを兄代わりになってしてみたい、とこう思うようになった薫は、しいて内密事とはせずに、このごろも冬の衣がえの季節になっているが、自分のほかにだれがその仕度《したく》に力を貸すものがあろうと思いやって、御帳《みちょう》の懸《か》け絹、壁代《かべしろ》などというものは、三条の宮の新築されて移転する準備に作らせてあったから、それらを間に合わせに使用されたいというふうに伝えて宇治へ送った。またいろいろな山荘の女房たちの着用するものも自身の乳母《めのと》などに命じて公然にも製作させた薫であった。
十月の一日ごろは網代《あじろ》の漁も始まっていて、宇治へ遊ぶのに最も興味の多い時であることを申して中納言が宮をお誘いしたために、兵部卿の宮は紅葉見《もみじみ》の宇治行きをお思い立ちになった。宮にお付きしていて親しく思召《おぼしめ》される役人のほかに殿上役人の中で特に宮のお愛しになる人たちだけを数にして微行のお遊びのつもりであったのであるが、大きな勢いを負っておいでになる宮でおありになったから、いつとなくたいそうな催しになっていき、予定の人数のほかに左大臣家の宰相中将がお供申し上げた。高官としては源中納言だけが随《したが》いたてまつった。殿上役人の数は多かった。
必ず女王《にょおう》たちの山荘へお寄りになることを信じている薫から、
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宮のお供をして相当な数の客が来ることを考えてお置きください。先年の春のお遊びに私と伺った人たちもまた参邸を望んで、不意にお訪《たず》ねしようとするかもしれません。
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などとこまごま注意をしてきたために、御簾《みす》を掛け変えさせ、あちこちの座敷の掃除《そうじ》をさせ、庭の岩蔭《いわかげ》にたまった紅葉《もみじ》の朽ち葉を見苦しくない程度に払わせ、小流れの水草をかき取らせなど女王はさせた。薫のほうからは菓子のよいのなども持たせて来、また接待役に出す若い人たちも来させてあった。こんなにもする薫の世話を平気で受けていることは気づらいことに姫君は思っていたが、たよるところはほかにないのであるから、こうした因縁と思いあきらめて好意を受けることにし、兵部卿の宮をお迎えする用意をととのえた。
遊びの一行は船で河《かわ》を上り下りしながらおもしろい音楽を奏する声も山荘へよく聞こえた。目にも見えないことではなかった。若い女房らは河に面した座敷のほうから皆のぞいていた。宮がどこにおいでになるのかはよくわからないのであるが、それらしく紅葉の枝の厚く屋形に葺《ふ》いた船があって、よい吹奏楽はそこから水の上へ流れていた。河風がはなやかに誘っているのである。だれもが敬愛しておかしずきしていることはこうした微行のお遊びの際にもいかめしくうかがわれる宮を、年に一度の歓会しかない七夕《たなばた》の彦星《ひこぼし》に似たまれな訪《おとず》れよりも待ちえられないにしても、婿君と見ることは幸福に違いないと思われた。
宮は詩をお作りになる思召《おぼしめ》しで文章博士《もんじょうはかせ》などを随《したが》えておいでになるのである。夕方に船は皆岸へ寄せられて、奏楽は続いて行なわれたが、船中で詩の筵《えん》は開かれたのであった。音楽をする人は紅葉の小枝の濃いの淡《うす》いのを冠に挿《さ》して海仙楽《かいせんらく》の合奏を始めた。だれもだれも楽しんでいる中で、宮だけは「いかなれば近江《あふみ》の海ぞかかるてふ人をみるめの絶えてなければ」という歌の気持ちを覚えておいでになって、遠方人《おちかたびと》の心(七夕のあまのと渡るこよひさへ遠方人のつれなかるらん)はどうであろうとお思いになり、ただ一人|茫然《ぼうぜん》としておいでになるのであった。おりに合った題が出されて、詩の人は創作をするのに興奮していた。船中の人の動きの少し静まっていくころを待って山荘へ行こうと薫も思い、そのことを宮へお耳打ちしていたうちに、御所から中宮のお言葉を受けて宰相の兄の衛門督《えもんのかみ》がはなばなしく随身《ずいじん》を引き連れ、正装姿でお使いにまいった。こうした御遊行はひそかになされたことであっても、自然に世間へ噂《うわさ》に伝わり、あとの例にもなることであるのに、重々しい高官の御随行のわずかなままでお出かけになったことがお耳にはいって、衛門督が派遣され、ほかにも殿上役人を多く伴わせて御一行に加えられたのである。こんなためにもまた騒がしくなって、思う人を持つお二人は目的の所へ行かれぬ悲哀が苦痛にまでなって、どんなこともおもしろくは思われなくなった。宮のお心などは知らずに酔い乱れて、だれも音楽などに夢中になった姿で夜を明かした。それでも次の日になればという期待を宮は持っておいでになったが、また朝になってから中宮|大夫《だゆう》とまた多くの殿上役人が来た。宮は落ちいぬ心になっておいでになって、このまま帰る気などにはおなりになれなかった。
山荘の中の君の所へはお文《ふみ》が送られた。風流なことなどは言っておいでになる余裕がお心になく、ただまじめにこまごまとお心持ちをお伝えになったものであったが、人が多く侍している際であるからと思って女王は返事をしてこなかった。自身のような哀れな身の上の者が愛人となっているのに、不釣合《ふつりあ》いな方であると女は深く思ったに違いない。遠い道が間にある時は相見る日のまれなのも道理なことに思われ、こんな状態に置かれていても忘られてはいないのであろうとみずから慰めることもできた中の君であったが、近い所に来て派手《はで》なお遊びぶりを見せられただけで、立ち寄ろうとされない宮をお恨めしく思い、くちおしくも思って悶《もだ》えずにはいられなかった。
宮はまして憂鬱《ゆううつ》な気持ちにおなりになって、恋しい人に逢《あ》われぬ不愉快さをどうしようもなく思召された。網代《あじろ》の氷魚《ひお》の漁もことに多くて、きれいないろいろの紅葉にそれを混ぜて幾つとなく籠《かご》にしつらえるのに侍などは興じていた。上下とも遊山《ゆさん》の喜びに浸っている時に、宮だけは悲しみに胸を満たせて空のほうばかりを見ておいでになった。そうするとお目につくのは女王の山荘の木立ちであった。大木の常磐木《ときわぎ》へおもしろくかかった蔦紅葉《つたもみじ》の色さえも高雅さの現われのように見え、遠くからはすごくさえ思われる一構えがそれであるのを、中納言も船にながめて、自分がたいそうに前触れをしておいたことがかえって物思いを深くさせる結果を見ることになったかと歎かわしく思った。
一昨年の春薫に伴われて八の宮の山荘をお訪ねした公達《きんだち》は、その時の川べの桜を思い出して、父宮を失われた女王たちがなおそこにおられることはどんなに心細いことであろうと同情し合っていた。一人を兵部卿の宮が隠れた愛人にしておいでになるという噂を聞いている人もあったであろうと思われる。事情を知らぬ人も多いのであるから、ただ孤女になられた女王のことを、こうした山里に隠れていても、若い麗人のことは自然に世間が知っているものであるから、
「非常な美人だということですよ。十三|絃《げん》の琴の名手だそうです。故人の宮様がそのほうの教育をよくされておいたために」
などと口々に言っていた。宰相の中将が、
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いつぞやも花の盛りに一目見し木の下《もと》さへや秋はさびしき
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八の宮に縁故の深い人であるからと思って薫にこう言った。その人、
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桜こそ思ひ知らすれ咲きにほふ花も紅葉《もみぢ》も常ならぬ世に
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衛門督《えもんのかみ》、
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いづこより秋は行きけん山里の紅葉の蔭《かげ》は過ぎうきものを
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中宮大夫、
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見し人もなき山里の岩がきに心長くも這《は》へる葛《くず》かな
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だれよりも老人であるから泣いていた。八の宮がお若かったころのことを思い出しているのであろう。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮が、
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秋はてて寂しさまさる木《こ》の本《もと》を吹きな過ぐしそ嶺《みね》の松風
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とお歌いになって、ひどく悲しそうに涙ぐんでおいでになるのを見て、秘密を知っている人は、評判どおりに宮はその人を深く愛しておいでになるらしい、こんな機会にさえそ
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