からまた老女の弁に逢《あ》いたいと呼び出して、昨日《きのう》も話した自身の気持ちをこまごまとまた語って行き、そして姫君へは礼儀的な挨拶《あいさつ》を言い入れて帰った。
 昨日は総角《あげまき》を言葉のくさびにして歌を贈答したりしていたが、催馬楽歌《さいばらうた》の「尋《ひろ》ばかり隔てて寝たれどかよりあひにけり」というようなあやまちをその人としてしまったように妹も思うことであろうと恥ずかしくて、気分が悪いということにして大姫君はずっと床を離れずにいた。女房たちは、
「もう御仏事までに日がいくらもなくなりましたのに、そのほかには小さいこともはかばかしくできる人もない時のあやにくな姫君の御病気ですね」
 などと言っていた。組紐が皆出来そろってから、中の君が来て、
「飾りの房《ふさ》は私にどうしてよいかわからないのですよ」
 と訴えるのを聞いて、もうその時にあたりも暗くなっていたのに紛らして、姫君は起きていっしょに紐結びを作りなどした。
 源中納言からの手紙の来た時、
「今朝《けさ》から身体《からだ》を悪くしておりますから」
 と取り次ぎに言わせて、返事を出さなかったのを、あまりに苦々しい態度だと譏《そし》る女たちもあった。
 喪の期が過ぎて除服をするにつけても、片時も父君のあとには生き残る命と思わなかったものが、こうまで月日を重ねてきたかと、これさえ薄命の中に数えて二人の女王《にょおう》の泣いているのも気の毒であった。一か年|真黒《まっくろ》な服を着ていた麗人たちの薄鈍《うすにび》色に変わったのも艶《えん》に見えた。姉君の思っているように、中の君は美しい盛りの姿と見えて、喪の間にまたひときわ立ちまさったようにも思われる。髪を洗わせなどした中の君の姿を大姫君はながめているだけで人生の悲しみも皆忘れてしまう気がするほどな麗容だった。姫君はすべて思うとおりな気がして、結婚して良人《おっと》に幻滅を覚えさせることはよもあるまいと頼もしくうれしくて、自身のほかには保護者のない妹君を親心になって大事がる姉女王であった。
 薫はいくぶんの遠慮がされた恋人の喪服ももう脱がれた時と思って、結婚の初めには不吉として人のきらう九月ではあったが、待ちきれぬ心でまた宇治へ行った。これまでのようにして話し合いたいと取り次ぎの女は薫の意を伝えて来るのであったが、
「不注意からまた病をしまして苦しんでいる際ですから」
 というような返事ばかりを言わせて大姫君は会おうとしなかった。
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存外にあなたは人情味に欠けた方です。女房たちが私をどう見ていることでしょう。
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 と今度は文《ふみ》に書いて薫がよこした。
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父の喪服を脱ぎました際の悲しみがずっと続きまして、かえって今のほうが深い暗さの中に沈んでおります私ですから、お話を承ることができませぬ。
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 返事はこう書いて出された。しかたのない気のする薫は、例のように弁を呼び出して、この人の力を借ろうと相談した。心細いこの山荘にいて源中納言だけを唯一の庇護者《ひごしゃ》と信じてたよる心のある女房たちは、弁からの話を聞いて、この結婚を成立させることほどよいことはないと皆言いあわせ、どんなにしても姫君の寝室へ薫を導こうと手はずを決めていた。
 姫君は女房たちがどんなことを計画しているかを深くは知らないのであるが、弁を特別な者にしてなつけている薫であるから、自分として油断のできぬ考えをしているかもしれぬ、昔の小説の中の姫君なども、自身の意志から恋の過失をしてしまうのは少ないのである、他の女房と質は違っても、弁には弁の利己心が働くはずであるからと、なんとなく今日の家の中の空気のただならぬのによって思い寄るところがあった。薫がしいて近づいて来た時には妹を自分の代わりに与えよう、目的としたものに劣っていたところで、そうして縁の結ばれた以上は軽率に捨ててしまうような性格の薫ではないのだから、ましてほのかにでも顔を見れば多大な慰めを感じるに価する妹ではないか、こんなことは話として持ち出しても、眼前に目的を変えて見せる人があるはずはない、この間から弁に言わせてもいるが、初めの志に違うなどと言って聞き入れるふうがないというのは、自分に対して今まで言っていたことが、こんなに根底の浅いものであったかと思わせることを避けているにすぎまい、とこう考えを決める姫君であったが、少しそのことを中の君に知らせておかないでその計らいをするのは仏法の罪を作ることではあるまいかと、先夜の闖入者に苦しんだ経験から妹の女王がかわいそうになり、ほかの話をした続きに、
「お亡《な》くなりになったお父様のお言葉は、たとえこうした心細い生活でも、それを続けて行かねばならぬとして、浮薄な恋愛を、感情の動くままにして、世間の物笑いになるなということでしたね。一生お父様の信仰生活へおはいりになるお妨げをしてきたその罪だけでもたいへんなのだから、せめて終わりの御訓戒にそむきたくないと私は思って、独身でいるのを心細いなどと考えないのですがね、女房たちまでむやみに気の強い女のように言って悪く見ているのは困ったものですわね。まあそう変わった人間に思われていてもいいとして、私のあなたと暮らしている月日があなたの青春をむだにしてしまうのではないかと、私はそれが始終惜しく思われてならないのですよ。気の毒でかわいそうでね。だからあなただけは普通の女らしく結婚をして、あなたの幸福を見ることで私も慰められるようになりたい気がします」
 と言うと、どんな考えがあって姉君はこんなことを言いだしたのであろうと急に情けなく中の君はなって、
「あなたお一人だけにお残しになった御訓戒だったのでしょうか。あなたほど聡明《そうめい》でない私のほうをことに気がかりにお父様は思召してのお言葉かと私は思っています。心細さはこうしていつもごいっしょにいることだけで慰めるほかに何があるでしょう」
 少し恨めしがるふうに中の君の言うのが道理に思われて姫君はかわいそうに見た。
「いいえね、女房たちが私らを頑固《がんこ》過ぎる女だと言いもし、思いもしているらしいから、いろいろとほかの道のことも考えたのですよ」
 あとはこんなふうにだけより言わなかった。日は暮れていくが京の客は帰ろうとしない。姫君は困ったことであると思っていた。弁が来て薫の言葉を伝えてから、あの人の恨むのが道理であると言葉を尽くして言うのに対して、答えもせず、歎息をしている姫君は、どうすればよい自分なのであろう、父宮さえおいでになれば、何となるにもせよ、だれの妻になるにもせよ、娘として取り扱われて、宿命というものがある人生であってみれば、自身の意志でなくとも人の妻になることもあろうし、結婚生活が不幸なことになっても、親に選ばれた良人《おっと》であるからと、そう恥を思わずにも済むであろう、周囲にいる女房は皆年を取っていて、賢げな顔をしては自身の頼まれた男との縁組みだけが最上のことのように言って勧めに来るが、そんなことがどうしてよかろう、彼女らの見る世界は狭く、その判断力は信じられないと思っている姫君は、その人たちが力で引き動かそうとせんばかりにして言うことも、いやなこととより聞かれず心の動くことはないのである。どんなことも話し合う妹の女王はこうした結婚とか恋愛とかいうことについては姫君よりもいっそう関心を持たぬようであったから、圧迫を感じる近ごろの話をしても、そう深く苦しい心境に立ち入っては来てくれないのであったから、姫君は一人で歎くほかはなかった。室《へや》の奥のほうに向こうを向いてすわっている女王の後ろでは薄鈍《うすにび》でない他のお召し物に姫君をお着かえさせるようにとか女房らが言っていて、だれもが今夜で結婚が成立するもののようにして、こそこそとその用意をするらしいのを、姫君はあさましく思っていた。皆が心を合わせてすれば、狭い山荘の内で隠れている所もないのである。
 薫はこんなふうにだれもが騒ぎ立てることを願っていず、そうした者を介在させずにいつから始まったことともなく恋の成立していくのを以前から望んでいたのであって、姫君の心が自分へ傾くことのない間はこのままの関係でよいとも思っているのであるが、老女の弁が自身だけでは足らぬように思って、他の女たちに助力を求めたために、あらわにだれもが私語することになったのである。多少洗練されたところはあっても、もともとあさはかな女であるにすぎぬ弁が、その上老いて頭の働きが鈍くなっているせいでもあろう。不快に思っていた姫君は、弁の出て来た時に、
「お亡《かく》れになりました宮様も、珍しい同情をお寄せくださる方だと始終喜んでばかりおいでになりましたし、今になっては何でも皆御親切におすがりするほかもない私たちで、例もないようなお親しみをもって御交際をしてまいりましたが、意外なお望みがまじっていまして、あなた様はお恨みになり、私は失望をいたすことになりました。人間としてはなやかな幸福を得たいと願う身でございましたら、あなた様の御好意に決しておそむきなどはいたされません。しかし、私は昔から現世のことに執着を持たぬ女だものですから、お言いくださいますことはただ苦しいばかりにしか承れないのでございます。それで思いますのは妹のことでございます。むなしくその人に青春を過ぎさせてしまうのが私として忍ばれないことに思われます。この山荘の生活も、あなた様の御好意だけで続けていかれる現状なのですから、父を御追慕してくださいますお志がございましたら、妹を私に代えてお愛しくださいませ。身は身として、心は皆妹のために与えていくつもりでございますとね。この意味をもっとあなたが敷衍《ふえん》して申し上げたらいいでしょう」
 と、恥じながらも要領よく姫君は言った。弁は同情を禁じがたく思った。
「あなた様のそういう思召《おぼしめ》しは私にもわかっているものでございますから、骨を折りまして、そうなりますようにと申し上げるのですが、どうしても自分の心をほかへ移すことはできない、中姫君と自分が結婚をすれば兵部卿《ひょうぶきょう》の宮様のお恨みも負うことになる、そちらの御縁組が成り立てばまた自分は中姫君に十分のお世話を申し上げるつもりだとおっしゃるのでございます。それもけっこうなお話なのでございますから、お二方ともそうした良縁をお得になりまして、まれな御誠意をもって奥様がたをあの貴公子様がたが御大切にあそばす時のごりっぱさは世間に類のないものになりますでございましょう。失礼な言葉ですが、こんなふうに不十分なお暮らしをあそばすのを拝見しておりますと、どうおなりになるのかと、私どもは不安で、悲しくてなりませんのにお一方様のお心持ちはまだ私はわかっておりませんでございますが、ともかくも最も高いお身分の方でいらっしゃいます。宮様の御遺言どおりにしたいと思召すのはごもっともですが、それは似合わしからぬ人が求婚者として現われてまいらぬかと、その場合を御心配あそばして仰せになりましたことで、中納言様にどちらかの女王《にょおう》様をお娶《めと》りになるお心があったなら、そのお一人の縁故で今一人の女王様のことも安心ができてどんなにうれしいだろうと、おりおり私どもへお話しあそばしたことがあるのでございますよ。どんな貴い御身分の方でも親御様にお死に別れになったあとでは、思いも寄らぬつまらぬ人と夫婦になっておしまいになるというような結果を見ますのさえたくさんに例のあることでございまして、それはしかたのないこととして、だれも噂《うわさ》にかけはいたしません。ましてこんな理想的と申しましょうか、作り事ほどに何もかものおそろいになった方で、そして御愛情が深くて、誠心誠意御結婚を望んでおいでになる方がおありになりますのに、しいてそれを冷ややかにお扱いになりまして、御遺言だからと申して、仏の道へおはいりになるようなことをなさいましても、仙人《せんにん》のように雲や霞《かすみ》を召し上がって生きて行くこと
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