すが、ともかくも私が捨てたい世にただ一つ深く心の惹かれる感じを味わい、また死後までもこの思いは残ろうと思った方から、ほかの方へ愛を移すことはできるものでありませんよ。改めて心をそう持とうとしても無理なことです。私の望むところは世間並みの恋の成立ではありません。ただ今のようなふうに何かを隔てたままでも、何事に限らず話し合う相手にいつまでもなっていていただきたいだけです。私には姉妹《きょうだい》などでそうした間柄になりうるような人もなくて寂しいのですよ。人生の身にしむ点も、おもしろいことも、困ることも、その時その時ただ一人で感じているだけであるのが物足りないのです。中宮《ちゅうぐう》はあまりに御身分が高過ぎて、なれなれしく私の思うとおりのことを何から何まで申し上げられないし、三条の宮様は母とも思われぬ若々しいお気持ちの方ではありましても、子は子の分があって、どんな話も申し上げるというわけにはゆきません。そのほかの女性というものはすべて皆私には遠い遠い所にいるとしか考えられませんで、私にいつも孤独の感を覚えています。心細いのですよ。その場かぎりの戯れ事でも恋愛に関したことはまぶしい気がして、人から見れば見苦しい頑固《がんこ》な男になっているのです。まして深く恋しく思う方にはそれをお話しすることも困難なことに思われます。恨めしく思ったり、悲しんだりしている恋の悶《もだ》えもお知らせすることができなくて、われながら変わった生まれつきが憎まれます。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮のことも私がお受け合いする以上は不安もなかろうと思って任せてくだすってよさそうなものですがね」
こんなことを薫《かおる》は言っていた。老いた弁もまたこの心細い身の上の姫君たちに上もない二つの縁が成立するようにとは切に願うところであったが、二|女王《にょおう》ともに天性の気品の高さに、自身の思うことのすべてが言われなかった。
薫は今夜を泊まることにして姫君とのどかに話がしたいと思う心から、その日を何するとなく山川をながめ暮らした。この人の態度が不鮮明になり、何かにつけて怨《うら》みがましくものを言う近ごろの様子に、煩わしさを覚え出した姫君は、親しく語り合うことがいよいよ苦しいのであったが、その他の点では世にもまれな誠意をこの一家のために見せる薫であったから、冷ややかには扱いかねて、その夜も話の相手をする承諾はしたのであった。
仏間と客室の間の戸をあけさせ、奥のほうの仏前には灯を明るくともし、隣との仕切りには御簾《みす》へ屏風《びょうぶ》を添えて姫君は出ていた。客の座にも灯の台は運ばれたのであるが、
「少し疲れていて失礼な恰好《かっこう》をしていますから」
と言い、それをやめさせて薫は身を横たえていた。菓子などが客の夕餐《ゆうげ》に代えて供えられてあった。従者にも食事が出してあった。廊の座敷にあたるような部屋《へや》にその人たちは集められていて、こちらを静かにさせておき、客は女王と話をかわしていた。打ち解けた様子はないながらになつかしく愛嬌《あいきょう》の添ったふうでものを言う女王があくまでも恋しくてあせり立つ心を薫はみずから感じていた。この何でもないものを越えがたい障害物のように見なして恋人に接近なしえない心弱さは愚かしくさえ自分を見せているのではないかと、こんなことを心中では思うのであるが、素知らぬふうを作って、世間にあったことについて、身にしむ話も、おもしろく聞かされることもいろいろと語り続ける中納言であった。女王は女房たちに近い所を離れずいるように命じておいたのであるが、今夜の客は交渉をどう進ませようと思っているか計られないところがあるように思う心から、姫君をさまで護ろうとはしていず、遠くへ退いていて、御仏《みほとけ》の灯《ひ》もかかげに出る者はなかった。姫君は恐ろしい気がしてそっと女房を呼んだがだれも出て来る様子がない。
「何ですか気分がよろしくなくなって困りますから、少し休みまして、夜明け方にまたお話を承りましょう」
と、今や奥へはいろうとする様子が姫君に見えた。
「遠く山路《やまみち》を来ました者はあなた以上に身体《からだ》が悩ましいのですが、話を聞いていただくことができ、また承ることの喜びに慰んでこうしておりますのに、私だけをお置きになってあちらへおいでになっては心細いではありませんか」
薫はこう言って屏風《びょうぶ》を押しあけてこちらの室《へや》へ身体《からだ》をすべり入らせた。恐ろしくて向こうの室へもう半分の身を行かせていたのを、薫に引きとめられたのが非常に残念で、
「隔てなくいたしますというのはこんなことを申すのでしょうか。奇怪なことではございませんか」
と批難の言葉を発するのがいよいよ魅力を薫に覚えしめた。
「隔てないというお気持ちが
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