思いになり、ただ一人|茫然《ぼうぜん》としておいでになるのであった。おりに合った題が出されて、詩の人は創作をするのに興奮していた。船中の人の動きの少し静まっていくころを待って山荘へ行こうと薫も思い、そのことを宮へお耳打ちしていたうちに、御所から中宮のお言葉を受けて宰相の兄の衛門督《えもんのかみ》がはなばなしく随身《ずいじん》を引き連れ、正装姿でお使いにまいった。こうした御遊行はひそかになされたことであっても、自然に世間へ噂《うわさ》に伝わり、あとの例にもなることであるのに、重々しい高官の御随行のわずかなままでお出かけになったことがお耳にはいって、衛門督が派遣され、ほかにも殿上役人を多く伴わせて御一行に加えられたのである。こんなためにもまた騒がしくなって、思う人を持つお二人は目的の所へ行かれぬ悲哀が苦痛にまでなって、どんなこともおもしろくは思われなくなった。宮のお心などは知らずに酔い乱れて、だれも音楽などに夢中になった姿で夜を明かした。それでも次の日になればという期待を宮は持っておいでになったが、また朝になってから中宮|大夫《だゆう》とまた多くの殿上役人が来た。宮は落ちいぬ心になっておいでになって、このまま帰る気などにはおなりになれなかった。
山荘の中の君の所へはお文《ふみ》が送られた。風流なことなどは言っておいでになる余裕がお心になく、ただまじめにこまごまとお心持ちをお伝えになったものであったが、人が多く侍している際であるからと思って女王は返事をしてこなかった。自身のような哀れな身の上の者が愛人となっているのに、不釣合《ふつりあ》いな方であると女は深く思ったに違いない。遠い道が間にある時は相見る日のまれなのも道理なことに思われ、こんな状態に置かれていても忘られてはいないのであろうとみずから慰めることもできた中の君であったが、近い所に来て派手《はで》なお遊びぶりを見せられただけで、立ち寄ろうとされない宮をお恨めしく思い、くちおしくも思って悶《もだ》えずにはいられなかった。
宮はまして憂鬱《ゆううつ》な気持ちにおなりになって、恋しい人に逢《あ》われぬ不愉快さをどうしようもなく思召された。網代《あじろ》の氷魚《ひお》の漁もことに多くて、きれいないろいろの紅葉にそれを混ぜて幾つとなく籠《かご》にしつらえるのに侍などは興じていた。上下とも遊山《ゆさん》の喜びに浸っている時に、宮だけは悲しみに胸を満たせて空のほうばかりを見ておいでになった。そうするとお目につくのは女王の山荘の木立ちであった。大木の常磐木《ときわぎ》へおもしろくかかった蔦紅葉《つたもみじ》の色さえも高雅さの現われのように見え、遠くからはすごくさえ思われる一構えがそれであるのを、中納言も船にながめて、自分がたいそうに前触れをしておいたことがかえって物思いを深くさせる結果を見ることになったかと歎かわしく思った。
一昨年の春薫に伴われて八の宮の山荘をお訪ねした公達《きんだち》は、その時の川べの桜を思い出して、父宮を失われた女王たちがなおそこにおられることはどんなに心細いことであろうと同情し合っていた。一人を兵部卿の宮が隠れた愛人にしておいでになるという噂を聞いている人もあったであろうと思われる。事情を知らぬ人も多いのであるから、ただ孤女になられた女王のことを、こうした山里に隠れていても、若い麗人のことは自然に世間が知っているものであるから、
「非常な美人だということですよ。十三|絃《げん》の琴の名手だそうです。故人の宮様がそのほうの教育をよくされておいたために」
などと口々に言っていた。宰相の中将が、
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いつぞやも花の盛りに一目見し木の下《もと》さへや秋はさびしき
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八の宮に縁故の深い人であるからと思って薫にこう言った。その人、
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桜こそ思ひ知らすれ咲きにほふ花も紅葉《もみぢ》も常ならぬ世に
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衛門督《えもんのかみ》、
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いづこより秋は行きけん山里の紅葉の蔭《かげ》は過ぎうきものを
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中宮大夫、
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見し人もなき山里の岩がきに心長くも這《は》へる葛《くず》かな
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だれよりも老人であるから泣いていた。八の宮がお若かったころのことを思い出しているのであろう。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮が、
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秋はてて寂しさまさる木《こ》の本《もと》を吹きな過ぐしそ嶺《みね》の松風
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とお歌いになって、ひどく悲しそうに涙ぐんでおいでになるのを見て、秘密を知っている人は、評判どおりに宮はその人を深く愛しておいでになるらしい、こんな機会にさえそ
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