「心ではあなたのおいでになったことがわかっていながら、ものを言うのが苦しいものですから失礼いたしました。しばらくおいでにならないものですから、もうお目にかかれないままで死んで行くのかと思っていました」
息よりも低い声で病者はこう言った。
「あなたにさえ待たれるほど長く出て来ませんでしたね、私は」
しゃくり上げて薫は泣いた。この人の頬《ほお》に触れる髪の毛が熱で少し熱くなっていた。
「あなたはなんという罪な性格を持っておいでになって、人をお悲しませになったのでしょう。その最後にこんな病気におなりになった」
耳に口を押し当てていろいろと薫が言うと、姫君はうるさくも恥ずかしくも思って、袖《そで》で顔をふさいでしまった。平生よりもなおなよなよとした姿になって横たわっているのを見ながら、この人を死なせたらどんな気持ちがするであろうと胸も押しつぶされたように薫はなっていた。
「毎日の御|介抱《かいほう》が、御心配といっしょになってたいへんだったでしょう。今夜だけでもゆっくりとお休みなさい。私がお付きしていますから」
見えぬ蔭にいる中の君に薫がこう言うと、不安心には思いながらも、何か直接に話したいことがあるのであろうと思って、若い女王《にょおう》は少し遠くへ行った。真向《まっこ》うへ顔を持ってくるのでなくても、近く寄り添って来る薫に、大姫君は羞恥《しゅうち》を覚えるのであったが、これだけの宿縁はあったのであろうと思い、危険な線は踏み越えようとしなかった同情の深さを、今一人の男性に比べて思うと、一種の愛はわく姫君であった。死んだあとの思い出にも気強く、思いやりのない女には思われまいとして、かたわらの人を押しやろうとはしなかった。
一夜じゅうかたわらにいて、時々は湯なども薫は勧めるのであったが、少しもそれは聞き入れなかった。悲しいことである、この命をどうして引きとめることができるであろうと薫は思い悩むのであった。不断経を読む僧が夜明けごろに人の代わる時しばらく前の人と同音に唱える経声が尊く聞こえた。阿闍梨《あじゃり》も夜居《よい》の護持僧を勤めていて、少し居眠りをしたあとでさめて、陀羅尼《だらに》を読み出したのが、老いたしわがれ声ではあったが老巧者らしく頼もしく聞かれた。
「今夜の御様子はいかがでございますか」
などと阿闍梨は薫に問うたついでに、
「宮様はどんな所においで
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