か、社会から冷遇されたとか、そんな動機によることですが、年がまだ若くて、思うことが何によらずできる身の上で、不満足などこの世になさそうな人が、そんなにまた後世のことを念頭に置いて研究して行こうとされるのは珍しいことですね。私などはどうした宿命だったのでしょうか、これでもこの世がいやにならぬか、これでも濁世《じょくせ》を離れる気にならぬかと、仏がおためしになるような不幸を幾つも見たあとで、ようやく仏教の精神がわかってきたが、わかった時にはもう修行をする命が少なくなっていて、道の深奥を究《きわ》めることは不可能とあきらめているのだから、年だけは若くても私の及ばない法《のり》の友かと思われる」
とお言いになって、その後双方から手紙の書きかわされることになり、薫中将が自身でお訪《たず》ねして行くようになった。
阿闍梨から話に聞いて想像したよりも目に見ては寂しい八の宮の山荘であった。仮の庵《いおり》という体裁で簡単にできているのである。山荘といっても風流な趣を尽くした贅沢《ぜいたく》なものもあるが、ここは荒い水音、波の響きの強さに、思っていることも心から消される気もされて、夜などは夢を見るだ
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