あそばすことはよく薫の心にはいった。高僧と言われる人とか、学才のある僧とかは世間に多いがあまりに人間と離れ過ぎた感がして、きつい気のする有名な僧都《そうず》とか、僧正とかいうような人は、また一方では多忙でもあるがために、無愛想《ぶあいそう》なふうを見せて、質問したいことも躊躇《ちゅうちょ》されるものであるし、また人格は低くてただ僧になっているという点にだけ敬意も持てるような人で、下品な、言葉づかいも卑しいのが、玄人《くろうと》らしく馴《な》れた調子で経文の説明を聞かせたりするのは反感が起こることでもあって、昼間は公務のために暇がない薫のような人は、静かな宵《よい》などに、寝室の近くへ招いて話し相手をさせる気になれないものであるが、気高《けだか》い、優美な御|風采《ふうさい》の八の宮の、お言いになるのは同じ道の教えに引用される例なども、平生の生活によき感化をお与えになる親しみの多いものを混ぜたりあそばされることで効果が多いのである。最も深い悟りに達しておられるというのではないが、貴人は直覚でものを見ることが穎敏《えいびん》であるから、学問のある僧の知らぬことも体得しておいでになって、次第になじみの深くなるにしたがい、薫《かおる》の思慕の情は加わるばかりで、始終お逢いしたくばかり思われ、公務の忙しいために長く山荘をお訪ねできない時などは恋しく宮をお思いした。
 薫がこんなふうに八の宮を尊敬するがために冷泉《れいぜい》院からもよく御消息があって、長い間そうしたお使いの来ることもなく寂しくばかり見えた山荘に、京の人の影を見ることのあるようになった。そして院から御補助の金品を年に何度か御寄贈もされることになった。薫も何かの機会を見ては、風流な物をも、実用的な品をも贈ることを怠らなかった。こんなふうでもう三年ほどもたった。
 秋の末であったが、四季に分けて宮があそばす念仏の催しも、この時節は河《かわ》に近い山荘では網代《あじろ》に当たる波の音も騒がしくやかましいからとお言いになって、阿闍梨《あじゃり》の寺へおいでになり、念仏のため御堂《みどう》に七日間おこもりになることになった。姫君たちは平生よりもなお寂しく山荘で暮らさねばならなかった。ちょうどそのころ薫中将は、長く宇治へ伺わないことを思って、その晩の有明月《ありあけづき》の上り出した時刻から微行《しのび》で、従者たちをも簡単な人数にして八の宮をお訪ねしようとした。河の北の岸に山荘はあったから船などは要しないのである。薫は馬で来たのだった。宇治へ近くなるにしたがい霧が濃く道をふさいで行く手も見えない林の中を分けて行くと、荒々しい風が立ち、ほろほろと散りかかる木の葉の露がつめたかった。ひどく薫は濡《ぬ》れてしまった。こうした山里の夜の路《みち》などを歩くことをあまり経験せぬ人であったから、身にしむようにも思い、またおもしろいように思われた。

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山おろしに堪へぬ木の葉の露よりもあやなく脆《もろ》きわが涙かな
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 村の者を驚かせないために随身に人払いの声も立てさせないのである。左右が柴垣《しばがき》になっている小路《こみち》を通り、浅い流れも踏み越えて行く馬の足音なども忍ばせているのであるが、薫の身についた芳香を風が吹き散らすために、覚えもない香を寝ざめの窓の内に嗅《か》いで驚く人々もあった。
 宮の山荘にもう間もない所まで来ると、何の楽器の音とも聞き分けられぬほどの音楽の声がかすかにすごく聞こえてきた。山荘の姉妹《きょうだい》の女王《にょおう》はよく何かを合奏しているという話は聞いたが、機会もなくて、宮の有名な琴の御音も自分はまだお聞きすることができないのである、ちょうどよい時であると思って山荘の門をはいって行くと、その声は琵琶《びわ》であった。所がらでそう思われるのか、平凡な楽音とは聞かれなかった。掻《か》き返す音もきれいでおもしろかった。十三|絃《げん》の艶《えん》な音も絶え絶えに混じって聞こえる。しばらくこのまま聞いていたく薫は思うのであったが、音はたてずにいても、薫のにおいに驚いて宿直《とのい》の侍風の武骨らしい男などが外へ出て来た。こうこうで宮が寺へこもっておいでになるとその男は言って、
「すぐお寺へおしらせ申し上げましょう」
 とも言うのだった。
「その必要はない。日数をきめて行っておられる時に、おじゃまをするのはいけないからね。こんなにも途中で濡《ぬ》れて来て、またこのまま帰らねばならぬ私に御同情をしてくださるように姫君がたへお願いして、なんとか仰せがあれば、それだけで私は満足だよ」
 と薫が言うと、醜い顔に笑《えみ》を見せて、
「さように申し上げましょう」
 と言って、あちらへ行こうとするのを、
「ちょっと」
 と、もう一度薫
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