を延ばしておいでになるうちに年月がたち、それぞれ成長していく女王たちの美しい顔を御覧になるのを、毎日お慰めにして暮らしておいでになった。あとで生まれたほうの女王を侍女たちも、
「この方のお産があって奥様がお亡《な》くなりになったと思うと残念な気がして」
こんなことを言って熱心に世話もしないのであったが、宮は終焉《しゅうえん》の床で、夫人がもう意識も朦朧《もうろう》になっていながら、生まれた姫君を気がかりに思うふうで、
「私はもう生きられませんから、この子だけを形見だとお思いになって愛してやってください」
と一言だけ言い置いたことをお思いになって、夫人の命の亡ぶ際にこの世へ出た子に対しては、その宿命が恨めしくお思いになるはずであるが、仏の思召しでこうなったのであろう、命の終わりにまでこの子をかわいく思い、自分に頼んで行ったのであるからとことさらこの女王を愛しておいでになった。端麗な容貌《ようぼう》で、普通の美に超《こ》えた姫君であった。姉君は静かな貴女《きじょ》らしいところが見えて、容貌にも身のとりなしにもすぐれた品のよさのある女王であった。宮がこの姫君をたいせつにあそばすお気持ちにはまた格別なものがあって、どちらも劣りまさりなくおかしずきになっていたが、お心にかなわぬことが多く、年月に添えて宮家の御財政は窮迫していった。女房たちも心細がって辛抱《しんぼう》ができずに一人一人とお邸《やしき》から出て行った。夫人の死んだ際で、妹君の乳母《めのと》などにも適当な人間をお選びになる余裕もなかったため、身分の低い乳母には低い節操よりなくて、まだ姫君の小さいうちにお邸《やしき》を出てしまった。それ以後は宮がお手ずから幼い女王の世話をあそばされた。
さすがにお邸は広くてみごとなものであったが、池や山の形にだけ以前の面影を残して荒廃する庭を、つれづれな御生活の宮はよくながめておいでになった。家司《けいし》などにも気のきいた者などはなくて、修繕を少しずつ加えるような方法もとらないから、雑草が高く伸び、軒の忍草《しのぶ》が得意に青をひろげていた。その季節季節の草木も、同じ趣味のある夫人といっしょにおながめになることで昔はお心の慰めになったのであるが、孤独の今の宮のお目はそうした自然の色もただ寂しく親しめないものに見られて、持仏の装飾だけを特にごりっぱにおさせになり、毎日仏勤めばか
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