源氏物語
橋姫
紫式部
與謝野晶子訳
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)濡《ぬ》れぬ
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)巣|守《も》り
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から3字上げ]
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[#地から3字上げ]しめやかにこころの濡《ぬ》れぬ川霧の立ち
[#地から3字上げ]まふ家はあはれなるかな (晶子)
そのころ世間から存在を無視されておいでになる古い親王がおいでになった。母方なども高い貴族で、帝《みかど》の御継嗣におなりになってもよい御資格の備わった方であったが、時代が移って、反対側へ政権の行ってしまうことになった変動のあとでは、まったく無勢力な方におなりになって、外戚《がいせき》の人たちも輝かしい未来の希望を失ったことに皆悲観をして、だれもいろいろな形でこの世から逃避をしてしまい、公にも私にもたよりのない孤立の宮でおありになるのである。夫人も昔の大臣の娘であったが、心細い逆境に置かれて、結婚の初めに親たちの描いていた夢を思い出してみると、あまりな距離のある今日の境遇が悲しみになることもあるが、唯一の妻として愛されていることに慰められていて、互いに信頼を持つ相愛の御夫妻ではあった。年月がたっても子をお持ちになることがなかったために、寂しい退屈をまぎらすような美しい子供がほしいと宮は時々お言いになるのであったが、思いがけぬころに一人の美しい女王《にょおう》が生まれた。これを非常に愛してお育てになるうちに、また続いて夫人が妊娠した時に、今度は男であればよいとお望みになったにかかわらずまた姫君が生まれた。安産だったのであるが、産後に病をして夫人は死んだ。この悲しい事実の前に宮は歎《なげ》きに溺《おぼ》れておいでになった。世の中にいればいるほど冷遇されて、堪えがたいことは多くても、捨てがたい優しい妻が自分の心を遁世《とんせい》の道へおもむかしめない絆《ほだし》になって、今日までは僧にもならなかったのである、一人生き残って男やもめになったことは堪えがたいことではないが、小さい子供たちを男手で育ててゆくことも親王の体面としてよろしくないことであるから、この際に入道しようとこうも宮は思召《おぼしめ》したのであるが、保護者もない二人の幼い姫君をお捨てになることを悲しく思召して、そのまま実行
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