長のなつかしい薫香《たきもの》のにおいの染《し》んだのを、この場のにわかの纏頭《てんとう》に尚侍は出したのであるが、
「どうしたからいただくのだかわからない」
 と言って、薫はこの家の藤侍従の肩へそれを載せかけて帰ろうとした。引きとめて渡そうとしたのを、
「ちょっとおじゃまするつもりでいておそくなりましたよ」
 とだけ言って逃げて行った。
 蔵人少将はこの源侍従が意味ありげに訪問した今夜のようなことが続けば、だれも皆好意をその人にばかり持つようになるであろう、自分はいよいよみじめなものになると悲観していて、御簾《みす》の中の人へ恨めしがるようなこともあとに残って言っていた。

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人は皆花に心を移すらん一人ぞ惑ふ春の夜の闇《やみ》
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 こう言って、歎息《たんそく》しながら帰ろうとしている少将に、御簾の中の人が、

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折からや哀れも知らん梅の花ただかばかりに移りしもせじ
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 と返歌をした。
 翌朝になって源侍従から藤侍従の所へ、
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 昨夜は失礼をして帰りましたが皆さんのお気持ちを悪くしなかったかと心配しています。
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 と、婦人たちにも見せてほしいらしく仮名がちに書いて、端に、

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竹河《たけかは》のはしうちいでし一節《ひとふし》に深き心の底は知りきや
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 という歌もある手紙を送って来た。すぐに寝殿へこの手紙を持って行かれて、侍従の母夫人や兄弟たちもいっしょに見た。
「字も上手だね。まあどうして今からこんなに何もかもととのった人なのだろう。小さいうちに院とお別れになって、お母様の宮様が甘やかすばかりにしてお育てになった方だけれど、光った将来が今から見える人になっていらっしゃる」
 などと尚侍は言って、自分の息子たちの字の拙《つたな》さをたしなめたりした。藤侍従の返事は実際幼稚な字で書かれた。
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昨夜はあまり早くお帰りになったことで皆何とか言ってました。

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竹河によを更《ふ》かさじと急ぎしもいかなる節《ふし》を思ひおかまし
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 この時以来薫は藤侍従の部屋《へや》へよく来ることになって、姫君への憧憬《あこがれ》を常に伝
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