らと申してくれ」
と言ったあとで、
「笛を少し吹け、何かというと御前の音楽の集まりにお呼ばれするではないか。困るね。幼稚な芸のものを」
微笑をしながらこう言って、双調を子に吹かせた。一人息子がおもしろく笛を吹き出すのを待っていて、
「悪くはなくなってゆくのも、こちらのお姉様の所で、自然合わさせていただくことになるからだろうね。ぜひただ今も掻《か》き合わせてやってください」
と責められて、女王は困っているふうであったが、爪弾《つまび》きで琵琶をよく合うように少し鳴らした。大納言は口笛で上手《じょうず》な拍子をとるのだった。この座敷の東の側に沿って、軒に近く立った紅梅の美しく咲いたのを大納言は見て、
「こちらの梅はことによい。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は宮中においでになるだろうから、一枝折らせてお持ちするがいい。『知る人ぞ知る』(色をも香をも)」
こう子供に言いながらまた、大納言は、
「光源氏がいわゆる盛りの大将でいられた時代に、子供でちょうどこの子のようにして始終お近づきしたことが今でも私には恋しくてなりません。この宮がたを世間の人はお褒《ほ》めするし、実際愛さるべく作られて来た人のような風采《ふうさい》はお持ちになりますが、光源氏の片端の片端にもお当たりにならないように私の思うのは、すばらしいと子供心にお見上げしたころの深い印象によるものなのかもしれません。われわれでさえ院をお思い出しするとお別れしたことは慰みようもない悲しみになるのですから、家族の方がたでお死に別れをしたあとに生き残らねばならなかった人たちは不幸な宿命を負っているのだという気がします」
こんなことを女王に語って、大納言は深く身にしむふうでしおれかえってしまった。この気持ちが促しもして大納言は、梅の枝を折らせるとすぐに若君を御所へ上がらせることにした。
「しかたがない。阿難《あなん》が身体《からだ》から光を放った時に、釈迦《しゃか》がもう一度出現されたと解釈した生《なま》賢い僧があったということだから、院を悲しむ心の慰めにはせめて匂宮へでも消息を奉ることだ」
と言って、
[#ここから2字下げ]
心ありて風の匂《にほ》はす園の梅にまづ鶯《うぐひす》の訪《と》はずやあるべき
[#ここで字下げ終わり]
この歌を紅の紙に、青年らしい書きようにしたためたのを、若君の懐紙《ふところがみ》の中へはさんで行かせるのを、少年は親しみたく思う宮であったから、喜んで御所へ急いだ。
兵部卿の宮が中宮のお宿直《とのい》座敷から御自身の曹司《ぞうし》のほうへ行こうとしていられるところへ按察使《あぜち》大納言家の若君は来た。殿上役人がおおぜいあとからお供して来た中へ混じって来た子供を、宮はお見つけになって、
「昨日《きのう》はなぜ早く退出したの、今日《きょう》はいつごろから来ていた」
などとお尋ねになった。
「昨日はあまり早く退《さが》りましたのが残念だったものですから、まだ宮様が御所にいらっしゃると人が言うものですから、急いで」
子供らしくはあるが、若君は親しい調子で申し上げた。
「御所でなくても時々はもっと気楽な家のほうへも遊びに来るがいいよ。若い人がどこからともなくたくさん集まって来る所だよ」
と宮はお言いになる。この子一人を相手にお話をあそばされるので、他の人たちは遠慮をしてやや遠くへのいていたり、ほかへ行ってしまったりして、静かになった時に、宮が、
「東宮様から少し暇がいただけたのだね、君をおかわいがりになってお放しにならないようだったのに、私の所へ来ている間に御|寵愛《ちょうあい》を人に奪われては恥だろう」
とおからかいになると、
「あまりおまつわりになるので苦しくてなりませんでした。あなた様は」
と子供は言いさして黙ってしまったのをまた宮は冗談《じょうだん》にして、
「私を貧弱な無勢力なものだと思って、嫌《きら》いになったって、そうなの。もっともだけれど少しくちおしいね。昔の宮様のお嬢様で、東の姫君という方にね私を愛してくださらないかって、そっとお話ししてくれないか」
こんなことをお言いだしになったのをきっかけにして、若君は紅梅の枝を差し上げた。
「私の意志を通じたあとでこれがもらえたのならよかったろう」
とお言いになって、宮は珍重あそばすように、いつまでも花の枝を見ておいでになった。枝ぶりもよく花弁の大きさもすぐれた美しい梅であった。
「色はむろん紅梅がはなやかでよいが、香は白梅に劣るとされているのだが、これは両方とも備わっているね」
宮がことにお好みになる花であったから、差し上げがいのあるほど大事にあそばすのであった。
「今夜は御所に宿直《とのい》をするのだろう。このまま私の所にいるがいいよ」
こうお言いになってお放しにならぬために
前へ
次へ
全5ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
紫式部 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング