宮も御弟の宮がたも親友のように思召していっしょにお遊びになろうとされるしするために、暇がなく苦しい中将は一つの身を幾つかに分けて使うことができぬかとさえ歎息《たんそく》していた。時々耳にはいって、子供心にも腑《ふ》に落ちず思ったことは、今も不可解のままで心に残っているが、尋ねる人もなかった。宮にはそうした不審をいだいているとさえお思われすることのはばかられる問題であったから、ただ自身の心のうちでだけ絶え間なくそのことを考えて、
「どういうことから自分が生まれるようになったのか、何の宿命でこんな煩悶《はんもん》を負って自分は人となったのか、善巧《ぜんぎょう》太子はみずから釈迦《しゃか》の子であることを悟ったというが、そうした知慧《ちえ》がほしい」
と独言《ひとりごと》をする時もあった。
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おぼつかなたれに問はまし如何《いか》にして始めも果ても知らぬわが身ぞ
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返事はだれもしてくれない。自身の健康などもこんなことでそこなってゆくような気がして中将は歎《なげ》かれるのであった。宮がお年の若盛りに尼におなりになったのも、いったいどれほどの信
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