はすぐれて美しく、性質も欠点のない令嬢なのであった。劣った母に生まれた子として世間が軽蔑《けいべつ》して見ることを惜しく思って、女二の宮が子供をお持ちになることができずに寂しい御様子であるために、六の君を大臣は典侍の所から迎えて宮の御養女に差し上げた。よい機会に二人の公子に姫君の気配《けはい》をそれとなく示したなら、必ず熱心な求婚者になしうるであろう、すぐれた女の価値を知ることは、すぐれた男でなければできぬはずであると大臣は思って、六の君を后の候補者というような大形《おおぎょう》な扱いをせず、はなやかに、人目を引くような派手《はで》な扱いをして貴公子の心を多く惹《ひ》くようにしていた。
御所の正月の弓の競技のあとで、左大将でもある夕霧の大臣の家で宴会の開かれるのを、大臣は六条院ですることにして匂宮にも御来会を願っていた。賭弓《かけゆみ》の席には皇子がたの御元服あそばしたのは皆出ておいでになった。后腹《きさきばら》の宮は皆|気高《けだか》くお美しい中にも、風流男《みやびお》の名を取っておいでになる兵部卿の宮はやはりすぐれて御|風采《ふうさい》がりっぱにお見えになった。第四の皇子は常陸《ひたち》の大守でおありになるが、この方は更衣腹《こういばら》で、思いなしかずっと見劣りがされた。例のことであるが勝負は左ばかりが勝ち続けた。例年よりも早く競技は終わって左右の大将は退出するのであったが、匂宮、常陸の宮、后腹の五の宮を大臣の大将は自身の車へいっしょにお乗せして帰ろうとした。薫は負け方の右中将で、そっと退出して行こうとしていた車を、大臣は、
「宮様がたがおいでになるお送りにおいでにならないか」
と言ってとどめさせて、子息の衛門督《えもんのかみ》、権《ごん》中納言、右大弁そのほかの高官をそれへ混ぜて乗せさせて六条院へ来た。
やや遠い路《みち》を来るうちに雪も少し降り出して艶《えん》な気のする黄昏時《たそがれどき》であった。笛などもおもしろく吹き立ててはいって行った。六条院は、ここ以外にはどんな御仏《みほとけ》の国でもこうした日の遊び場所に適した所はないであろうと思われた。寝殿の南の庇《ひさし》の間の端に定例どおり中将が南向いて席につき、北向きに主人の座に対して来会者の親王がた、高官たちの席が作ってあった。酒杯が出て夜がおもしろくなったころに「求子《もとめこ》」が舞われた。
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