ゆううつ》になるだろうなどとお思いになって、居間の中がお見渡されになるのであった。目だたぬように仏勤めをあそばして、経をお読みになる声を聞いていては、ただの場合でも涙の流れるものであるのに、まして院のお悲しみに深い同情を寄せている女房たちであったから、痛切においたましく思われた。
「この世のことではあまり不足を感じなくともよいはずの身分に生まれていながら、だれよりも不幸であると思わなければならぬことが絶えず周囲に起こってくる。これは自分に人生のはかなさを体験すべく仏がお計らいになるのだと思われる。それをしいて知らぬ顔にしてきたものだから、こうして命の終わりも近い時になって、最も悲しい経験をすることになったのだ。これで負って来た業《ごう》も果たせた気がして、安らかな境地が自分の心にできて、執着の残るものもない私だが、あなたたちと以前よりも、より親密にして数か月を暮らしてきたことで、あなたたちとの別れにもう一度心が乱れないかという不安が自分にできてきた。弱い私の心じゃないか」
 とお言いになって、目をおおさえになるふうをしてお紛らしになろうとするにもかかわらず、院のお涙のこぼれるのを見る女房たちは、ましてとめどもなく泣かれるのであった。そうしていよいよ院が見捨てておしまいになることの歎《なげ》かわしさをだれも訴えたいのであるが、言い出しうる者もなかった。皆むせ返っていたからである。こんなふうに歎きに明かしておしまいになる朝、物思いに一日をお暮らしになった夕方などのしんみりとした時間には、愛人関係が以前あった人たちを居間に集めて語り合うのを慰めにあそばす院でおありになった。
 中将の君というのはまだ小さい時から夫人に仕えてきた人であったが、院はいつとなく無関心でありえなくおなりになったか情人にしておしまいになったのを、彼女は夫人に対して自責の念に堪えないで、院の愛の手を避けるようにばかりしていたが、夫人の歿後《ぼつご》は愛欲を離れて、だれよりもすぐれて故人の愛していた女房であったとお思われになることによって、形見と見てこの人に院は愛を持っておいでになった。性質も容貌《ようぼう》も皆よくて、喪服姿がうない松に似た可憐《かれん》な女である。親しくない女房には顔もあまりお見せにならないこのごろの院でおありになった。お近しくした高官たちとか、御兄弟の宮がたとかは始終お訪《たず》ねされるのであるがあまり御面会になることもない。人と逢《あ》っている時だけはよく自制して醜態を見せまいとしても、長く悲しみに浸っていてぼけた自分がどんなあやまちを客の前でしてしまうかもしれぬ、そうしたことがのちに語り伝えられることはいやである、歎き疲れて人に逢うこともできないと言われるのも、恥ずかしいことは同じであるが、話だけで想像されることよりも実際人の目で見られたことの噂《うわさ》になるほうが迷惑になるとお思いになって、大将などにも御簾《みす》越しでしかお逢いにならなかった。こんなふうに悲歎に心が顛倒《てんとう》したように人が言うであろう間を静かに過ごしてから、と出家の日をお思いになって、まだ人間の中をお去りになることをされないのであった。
 他の夫人たちの所へ稀《まれ》においでになることがあっても、そこでその人々が紫の女王でないことから新しいお悲しみが心に湧《わ》いて涙ばかりが流れるのをみずからお恥じになってどちらへももう出かけられることがなくなっていた。中宮《ちゅうぐう》は御所へお入れになったのであるが、三の宮だけは寂しさのお慰めにここへとどめてお置きになった。
「お祖母《ばあ》様がおっしゃったから」
 とお言いになって、宮は対の前の紅梅と桜を責任があるように見まわっておいでになるのを、院は哀れに思召《おぼしめ》した。
 二月になると、花の木が盛りなのも、まだ早いのも、梢《こずえ》が皆|霞《かす》んで見える中に、女王の形見の紅梅に鶯《うぐいす》が来てはなやかに啼《な》くのを、院は縁へ出てながめておいでになった。

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植ゑて見し花の主人《あるじ》もなき宿に知らず顔にて来居る鶯
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 春の空を仰いで吐息《といき》をおつかれになった。
 春が深くなっていくにしたがって庭の木立ちが昔の色を皆備えてお胸を痛くするばかりであったから、この世でもないほどに遠くて、鳥の声もせぬ山奥へはいりたくばかり院はお思いになるのであった。山吹の咲き誇った盛りの花も涙のような露にぬれているところばかりがお目についた。よそでは一重桜が散り、八重の盛りが過ぎて樺桜《かばざくら》が咲き、藤《ふじ》はそのあとで紫を伸べるのが春の順序であるが、この庭は花の遅速を巧みに利用して、散り過ぎた梢はあとの花が隠してしまうように女王がしてあったために、いつまでも光
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