がかりなものが多いばかりでなく、この法会《ほうえ》に志を現わしたいと願わない世人もない有様であったから、華麗な仏会の式場が現出したわけである。いつの間にこの大部の経巻等を夫人が仕度《したく》したかと参列者は皆驚いた。長い年月を使った夫人の志に敬服したのである。花散里《はなちるさと》夫人、明石《あかし》夫人なども来会した。南と東の戸をあけて夫人は聴聞の席にした。それは寝殿の西の内蔵《うちぐら》であった。北側の部屋《へや》に各夫人の席を襖子《からかみ》だけの隔てで設けてあった。
 三月の十日であったから花の真盛《まっさか》りである。天気もうららかで暖かい日なので、快くて御仏《みほとけ》のおいでになる世界に近い感じもすることから、あさはかな人たちすらも思わず信仰にはいる機縁を得そうであった。薪《たきぎ》こる(法華《ほけ》経はいかにして得し薪こり菜摘み水|汲《く》みかくしてぞ得し)歌を同音に人々が唱える声の終わって、今までと反対に式場の静まりかえる気分は物哀れなものであるが、まして病になっている夫人の心は寂しくてならなかった。明石夫人の所へ女王《にょおう》は三の宮にお持たせして次の歌を贈った。
前へ 次へ
全25ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
紫式部 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング