。あなた様についての御息所のこのお悲しみ方を宮様はただ呆然《ぼうぜん》として見ておいでになりました」
あきらめられぬようにこんなことを少将は言っていて、まだ頭はかなり混乱しているふうであった。
「そうではあっても、宮様はもう常態にお復しになってしかるべきだと思う。私に対してあまりな知らず顔をお作りになるのは、思いやりのないことではありませんか。もったいないことですが、孤独におなりになった宮様にだれがお力になるとお思いになるのだろう。法皇様はいっさい塵界《じんかい》と交渉を絶っておいでになる御生活ぶりですから、御相談事などは申し上げられないでしょう。あなたがたが熱心になって宮様の私に対する御冷酷さをお改めになるようによくお話し申し上げてください。皆宿命があって、一生孤独でいようとあそばしても、そうなって行かないということもお話し申すといい。人生が望みどおりに皆なるものであれば、この悲しい死別はなされなくてもよかったわけではありませんか」
などと夕霧は多く言うのであるが、少将は返事もできずに歎息《たんそく》ばかりしていた。鹿《しか》がひどく啼《な》くのを聞いていて、「われ劣らめや」(秋なれば山とよむまで啼く鹿にわれ劣らめや独《ひと》り寝《ね》る夜は)と吐息《といき》をついたあとで、
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里遠み小野の篠原《しのはら》分けて来てわれもしかこそ声も惜しまね
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と大将が言うと、
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ふぢ衣露けき秋の山人は鹿のなく音《ね》に音《ね》をぞ添へつる
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少将のこの返歌はよろしくもないが、低く忍んで言う声《こわ》づかいなどを優美に感じる夕霧であった。宮へいろいろとお取り次ぎもさせたが、
「この悲しみの中から自分を取りもどす日がございましたら、始終お心にかけてお尋ねくださいますお礼も申し上げられるかと思います」
と礼儀としてだけのことより宮からはお返辞がない。大将は失望して歎《なげ》きながら帰って行くのであった。途中も車の中から身にしむ秋の終わりがたの空をながめていると、十三日の月が出て暗い気持ちなどにはふさわしくないはなやかな光を地上に投げかけた。それにも誘われて一条の宮の前で車をしばらくとどめさせた。以前よりもまた荒れた気のするお邸《やしき》であった。南側の土塀《どべい》のくずれた所から中をのぞくと、大きな建物の戸は皆おろされてあって人影も見えない。月だけが前の流れに浮かんでいるのを見て、柏木《かしわぎ》がよくここで音楽の遊びなどをしたその当時のことが思い出された。
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見し人の影すみはてぬ池水にひとり宿|守《も》る秋の夜の月
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こう口ずさみながら家へ帰って来た大将は、そのまま縁に近い座敷で月にながめ入りながら恋人の冷たさばかりを歎いていた。
「あんなふうにしていらっしゃることは以前になかったことですね。およしになればいいのに」
と言って女房らは譏《そし》った。夫人は痛切に良人《おっと》のこの変わりようを悲しんでいた。これは心がほかへ飛んで行っているという状態なのであろう、そうしたことに馴《な》らされた六条院の夫人たちを何かといえばよい例に引いて、自分をがさつな、思いやりのない女のように言う良人は無理である、自分も結婚した初めからそう馴らされて来たのであったなら、穏健なあきらめができていて、こんな時の辛抱《しんぼう》もしよいに違いない、珍しく忠実な良人を持つ妻として親兄弟をはじめとして世間からあやかり者のように言われて来た自分が、最後にみじめな捨てられた女になるのであろうかと歎いているのである。夜も明けがた近くなるのであるが、夫婦はどちらも離れた気持ちで身をそむけたまま何を言おうともしなかった。
起きるとまたすぐに、朝霧の晴れ間も待たれぬようにして大将は山荘への手紙に筆を取っていた。不愉快に思いながらも夫人はもういつかのように奪おうとはしなかった。書いてしばらくそれをながめながら読んで見ているのが、低い声ではあったが、一部だけは夫人の耳にもはいって来た。
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いつとかは驚かすべきあけぬ夜の夢さめてとか言ひし一言
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「上よりおつる」(いかにしていかによからん小野山の上よりおつる音無しの滝)と書かれたものらしい。巻いて上包みをしたあとでも「いかによからん」などと夕霧は口にしていた。侍を呼んで手紙の使いはすぐに小野へ出された。内容の全部はよくわからなかったが、返事だけは手に入れて読みたいものである、それによって真相が明らかになるであろうと夫人は思っていた。
朝おそくなってから小野の返事が来た。濃い紫色の、堅苦しい紙へ例の少将が書いたものであった。
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