《ぐしばこ》、お手箱、唐櫃《からびつ》その他のお道具を、それも仮の物であったから袋くらいに皆詰めてすでに運ばせてしまったから、宮お一人が残っておいでになることもおできにならずに、泣く泣く車へお乗りになりながらも、あたりばかりがおながめられになって、こちらへおいでになる時に、御息所《みやすどころ》が病苦がありながらも、お髪《ぐし》をなでてお繕いして車からお下《お》ろししたことなどをお思い出しになると、涙がお目を暗くばかりした。お護《まも》り刀とともに経の箱がお席の脇《わき》へ積まれたのを御覧になって、
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恋しさの慰めがたき形見にて涙に曇る玉の箱かな
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とお歌いあそばされた。黒塗りのをまだお作らせになる間がなくて、御息所が始終使っていた螺鈿《らでん》の箱をそれにしておありになるのである。御息所の容体の悪い時に誦経《ずきょう》の布施として僧へお出しになった品であったが、形見に見たいからとまたお手もとへお取り返しになったものである。浦島の子のように箱を守ってお帰りになる宮であった。
一条へお着きになると、ここは悲しい色などはどこにもなく、人が多く来ていて他家のようになっていた。車を寄せてお下《お》りになろうとする時に、御自邸という気がされない不快な心持ちにおなりになって、動こうとあそばさないのを、あまりに少女らしいことであると言って女房たちは困っていた。大将は東の対の南のほうの座敷を仮に自身の使う座敷にこしらえて、もう邸《やしき》の主人のようにしていた。
三条の家では、だれもが、
「急に別なお家《うち》と別な奥様がおできになったとはどうしたことでしょう。いつごろから始まった関係なのでしょう」
と言って驚いていた。多情な恋愛生活などをしなかった人は、こうした思いがけぬことを実行してしまうものである。しかしだれも以前からあった関係をはじめて公表したことと解釈していて、まだ宮のお心は結婚に向いていぬことなどを想像する人もない。いずれにもせよ宮の御ために至極お気の毒なことばかりである。
御結婚の最初の日の儀式が精進物のお料理であることは縁起のよろしくなく見えることであったが、お食事などのことが終わって、一段落のついた時に、夕霧はこちらへ来て宮の御寝室への案内を、少将にしいた。
「いつまでもお変わりにならぬ長いお志でございま
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