防風林でも皆なくなった。寂しさの身にしむこの季節のことであるから、空の色にも悲しみが誘われて、宮は歎《なげ》きを続けておいでになる。命さえも思うどおりにならぬと悲しんでおいでになるのであった。女房たちも二重三重に悲しみをするばかりである。夕霧からは毎日のようにお見舞いの手紙が送られた。寂しい念仏僧を喜ばせるに足るような物もしばしば贈られた。宮へは真心の見える手紙を次々にお送りして、自分の恋に対して御冷淡である恨みを語るほかには、今も御息所の死を悲しむ真情を言い続けた消息であった。しかも宮はそれらを手に取ってながめようともあそばさないのである。あのいまわしかった事件を、衰弱しきった病体で御息所は確かに悲しみもだえて死んだことをお思いになると、そのことが母君の後世《ごせ》の妨げにもなったような気があそばされて、悲しさが胸に詰まるほどにも思召されるのであるから、大将に触れたことを言うと、その人を恨めしく思召してお泣きになるのを見て、女房たちも手の出しようがないのである。一行のお返事さえ得られないのを、初めの間は悲しみにおぼれておいでになるからであろうと大将は解釈していたが、今に至るも同じことであるのを見ては、どんな悲しみにも際限はあるはずであるのに、今になってもまだ自分の音信《たより》に取り合わぬ態度をお続けになるのはどうしたことであろう、あまりに人情がおわかりにならぬと恨めしがるようになった。関係もないことをただ文学的につづり、花とか蝶《ちょう》とか言っているのであったなら、冷眼に御覧になることもやむをえないことであるが、自身の悲しいことに同情して音信《たより》をする人には、親しみを覚えていただけるわけではないか、祖母の大宮がお亡《かく》れになって、自分が非常に悲しんでいる時に、太政大臣はそれほどにも思わないで、だれも経験しなければならぬ尊親の死であるというふうに見ていて、儀式がかったことだけを派手《はで》に行なって万事|了《おわ》るという様子であったのに、自分は反感を感じたものだし、かえって昔の婿でおありになった六条院が懇切に身を入れてあとの仏事のことなどをいろいろとあそばされたのに感激したものである。これは自分の父であるというだけで思ったことではない、その時に故人の柏木《かしわぎ》が自分は好きになったのである。静かな性質で人情のよくわかる彼は、自分と同じように祖母の宮の死を深く悲しんでいたのに心を惹《ひ》かれたものであった。この宮は何という感受性の乏しいお心なのであろうと、こんなことを毎日思い続けていた。夫人は山荘の宮と大将の関係はどうなっていたのであろう、御息所とは始終手紙の往復をしていたようであるがと腑《ふ》に落ちず思って、夕方空にながめ入って物思いをしている良人《おっと》の所へ、若君に短い手紙を持たせてやった。ちょっとした紙の端なのである。

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哀れをもいかに知りてか慰めん在《あ》るや恋しき無きや悲しき

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どちらだか私にはわからないのですから。
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 夕霧は微笑しながら嫉妬《しっと》が夫人にいろいろなことを言わせるものであると思った。御息所を対象にしていたろうとはあまりにも不似合いな忖度《そんたく》であると思ったのである。すぐに返事を書いたが、それは実際問題を避けた無事なものである。

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何《いづ》れとも分きて眺《なが》めん消えかへる露も草葉の上と見ぬ世に

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人生のことがことごとく悲しい。
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 まだこんなふうに隠しだてをされるのであるかと、人生の悲しみはさしおいて夫人は歎《なげ》いた。



底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
   1994(平成6)年6月15日39版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年1月15日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:柳沢成雄
2003年5月16日作成
青空文庫作成ファイル:
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