「そんなにまですぐにお駆けつけになるほどの御関係でもないではございませんか」
 と家従たちが諫《いさ》めるのを退けてしいて出て来たのである。しかも遠距離ですぐにも行き着くことのできない道は夕霧をますます悲しませたのであった。山荘は凄惨《せいさん》の気に満ちていた。最後の式の行なわれる所は仕切りで隠して人々は例の西の縁側のほうへ大将にまわってもらった。
 妻戸の前の縁側によりかかって夕霧は女房を呼び出したが、だれも皆平静な気持ちでいる者はないのである。大将が来たことで少し慰められるところがあって少将が応接に出た。夕霧も急にものは言えないのであった。すぐ泣くふうの人ではないのであるが、ここの悲しい空気に人々の様子も想像されて無常の世の道理も自身に近い人の上に実証されたことにひどく心を打たれているのである。ややしばらくして、
「少しおよろしいように伺ったものですから、安心していたのですが、何たることが起こったのでしょう。どんな悪夢でもさめる時はあるのですが、これはそうした希望も持てませんことを悲しく思います」
 と宮への御|挨拶《あいさつ》を申し入れた。御息所が煩悶《はんもん》していたことをお思いになって、大将が原因で免れがたい運命とはいえ母君はお亡《な》くなりになったとお思いになると、恨めしい因縁の人の弔問に宮はお返辞すらあそばさない。
「どう仰せられますと申し上げればよろしゅうございましょう。重いお身柄をお忘れになってすぐにこの遠い所をお弔《くや》みにおいでくださいました御好意を無視あそばすようなお扱いもあまりでございましょうから」
 女房が口々に言うと、
「いいかげんに言っておくがいい。何を何と言っていいか今はそんなこともわからない」
 宮がこう言って横になっておしまいになったのももっともなこの場合のことであったから、女房が、
「ただ今のところ宮様はお亡《かく》れになった方同然でいらっしゃいます。おいでくださいましたことは申し上げておきました」
 と夕霧へ言った。この人たちは涙にむせかえっているのであるから、
「何とも申し上げようのないことですから、私の心も少し落ち着き、宮様の御気分もお静まりになったころにまた参りましょう。どうしてそんな急変が来たのか、私はその理由だけを知りたい」
 と大将は女房に言った。露骨には言わないが少将は御息所の煩悶した一昼夜のことを少し夕霧に知らせて、
「そう申してまいればお恨み言になっていけません。今日は頭が混乱しておりまして間違ってお話し申し上げることがあるかもしれません。それでは宮様のお悲しみもいずれはおあきらめにならなければならないことでございますから、御気分のお落ち着きになりますころにまたおいでくださいまし」
 と言った。その人たちも気を顛倒《てんとう》させている様子を見ては、大将も言いたいことが口から出ない。
「私の心なども暗闇《まっくら》になったように思われるのですから、宮様としてはごもっともです。極力お慰め申し上げて、あなたがたの力で今後少しのお返事でもいただけるように計らってください」
 などと言いおいて、長い立ち話をしていることもさすがに出入りの人の多い今日の山荘では軽々しく見られることであろうとはばかって大将は帰ることにした。今夜のうちに済ませるために納棺その他のことを着々進行させている物音にも、盛大ならぬ葬儀の悲哀が感ぜられて、大将はこの近くにある自家の荘園から侍たちを招いて、いろいろな役を分担して助けることを命じていった。急なことであったから自然簡単で済ませることになった葬儀が、これによって外見をきわめてよくすることができるようになった。大和守《やまとのかみ》も、
「すべて殿様のありがたい御親切のおかげでございます」
 と感謝していた。
 母君を何も残らぬ無にしておしまいになったことで、宮は伏し転《まろ》んで悲しんでおいでになった。親は子にこのかたがたのような片時離れぬ習慣はつけておくべきでないと思い、宮のこの御状態を女房たちはまた歎き合った。大和守が葬儀の跡の始末を皆してから、
「こんなふうになさいまして、まだながく寂しい山荘においでになることは御無理です。いっそうお悲しみが紛れないことになりましょう」
 などと宮へ申し上げるのであったが、宮は母君の煙におなりになった場所にせめて近くいたいと思召《おぼしめ》す心から、このままここへ永住あそばすお考えを持っておいでになった。忌中だけこもっている僧たちは東の座敷からそちらの廊の座敷、下屋《しもや》までを使って、わずかな仕切りをして住んでいた。西の端の座敷を急ごしらえの居間にして宮はおいでになるのである。朝になることも夜になることも宮は忘れておいでになるうちに日がたって九月になった。山おろしが烈《はげ》しくなり、もう葉のない枝は
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