なった若君を、院はどんなにお愛しになるだろうという想像をして、家司《けいし》たちは大がかりな仕度《したく》を御出産祝いにした。六条院の各夫人から産室への見舞い品、祝品はさまざまに意匠の凝らされたものであった。折敷《おしき》、衝重《ついがさね》、高杯《たかつき》などの作らせようにも皆それぞれの個性が見えた。五日の夜には中宮《ちゅうぐう》のお産養《うぶやしない》があった。母宮のお召し料をはじめとして、それぞれの階級の女房たちへ分配される物までも、お后《きさき》のあそばすことらしく派手《はで》にそろえておつかわしになったのである。産婦の宮への御|粥《かゆ》、五十組の弁当、参会した諸官吏への饗応《きょうおう》の酒肴《しゅこう》、六条院に奉仕する人々、院の庁の役人、その他にまでも差等のあるお料理を交付された。院の殿上人とともに中宮職の諸員は大夫《たゆう》をはじめ皆参っていた。七日の夜には宮中からのお産養があった。これも朝廷のお催しで重々しく行なわれたのである。太政大臣などはこの祝賀に喜んで奔走するはずの人であったが、子息の大病のためにほかのことを思う間もないふうで、ただ普通に祝品を贈って来ただけであった。宮がたや高官の参賀も多かった。
 院内にもこの若君を珍重する空気が濃厚に作られていながら、院のお心にだけは羞恥《しゅうち》をお感じになるようなところがあって、宴席をはなやかにすることなどはお望みになれないで、音楽の遊びなどは何もなかった。女三の宮は弱いお身体《からだ》で恐ろしい大役の出産をあそばしたあとであったから、まだ米湯《おもゆ》などさえお取りになることができなかった。御自身の薄命であることをこの際にもまた深くお思われになって、この衰弱の中で死んでしまいたいともお思いになるのであった。院は人から不審を起こさせないことを期して、上手《じょうず》に表面は繕っておいでになるが、生まれたばかりの若君を特に見ようともなされないのを、老いた女房などは、
「御愛情が薄いではありませんか。久しぶりにお持ちになった若様が、こんなにまできれいでいらっしゃるのに」
 などと言っているのを、宮は片耳におはさみになって、この薄いと言われておいでになる愛情は、成長するにつれてますます薄くなるであろうと、院がお恨めしく、過去の御自身も恨めしくて、尼になろうというお心が起こった。夜などもこちらの御殿で院
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