と、その人たちの十三|絃《げん》や琵琶《びわ》を一度合奏する女ばかりの催しをしたい。現代の大家といっても私の家族たちの音楽に対する態度より純真なものを持っていませんよ。私はたいした音楽者ではないが、すべての芸に通じておきたいと思って、少年の時から世間の専門家を師にしてつきもしたし、また貴族の中の音楽の大家たちにも教えを乞《こ》うたものですが、特に尊敬すべき芸を持った人と思われるのはなかった。その時代よりもまた現在では音楽をやる人の素質が悪くなって、芸が浅薄になっていると思う。琴などはまして稽古をする者がなくなったということですからあなただけ弾ける人はあまりないでしょう」
と院がお言いになると、宮は無邪気に微笑《ほほえ》んで、自分の芸がこんなにも認められるようになったかと喜んでおいでになった。もう二十一、二でおありになるのであるが、幼稚な所が抜けないで、そして見たお姿だけは美しかった。
「長くお目にかからないでおいでになるのだから、大人になってりっぱになったと認めていただけるようにしてお目にかからなければいけませんよ」
と事に触れて院は教えておいでになるのであった。実際こうした良人《おっと》がおいでにならなければ外間のいろいろな噂《うわさ》にさえされる方であったかもしれぬと女房たちは思っていた。
一月の二十日過ぎにはもうよほど春めいてぬるい微風《そよかぜ》が吹き、六条院の庭の梅も盛りになっていった。そのほかの花も木も明日の約されたような力が見えて、杜《もり》は霞《かす》み渡っていた。
「二月になってからでは賀宴の仕度《したく》で混雑するであろうし、こちらだけですることもその時の下調べのように思われるのも不快だから、今のうちがよい、あちらで会をなさい」
と院はお言いになって女王を寝殿のほうへお誘いになった。供をしたいという希望者は多かったが、寝殿の人と知り合いになっている以外の人は残された。少し年はいっている人たちであるがりっぱな女房たちだけが夫人に添って行った。童女は顔のいい子が四人ついて行った。朱色の上に桜の色の汗袗《かざみ》を着せ、下には薄色の厚織の袙《あこめ》、浮き模様のある表袴《おもてばかま》、肌《はだ》には槌《つち》の打ち目のきれいなのをつけさせ、身の姿態《とりなし》も優美なのが選ばれたわけであった。女御の座敷のほうも春の新しい装飾がしわたされてあって、華奢《かしゃ》を尽くした女房たちの姿はめざましいものであった。童女は臙脂《えんじ》の色の汗袗《かざみ》に、支那綾《しなあや》の表袴で、袙《あこめ》は山吹《やまぶき》色の支那|錦《にしき》のそろいの姿であった。明石夫人の童女は目だたせないような服装をさせて、紅梅色を着た者が二人、桜の色が二人で、下は皆青色を濃淡にした袙で、これも打ち目のでき上がりのよいものを下につけさせてあった。姫宮のほうでも女御や夫人たちの集まる日であったから、童女の服装はことによくさせてお置きになった。青丹《あおに》の色の服に、柳の色の汗袗《かざみ》で、赤紫の袙《あこめ》などは普通の好みであったが、なんとなく気高《けだか》く感ぜられることは疑いもなかった。縁側に近い座敷の襖子《からかみ》をはずして、貴女たちの席は几帳《きちょう》を隔てにしてあった。中央の室には院の御座《おんざ》が作られてある。今日の拍子合わせの笛の役には子供を呼ぼうとお言いになって、右大臣家の三男で玉鬘《たまかずら》夫人の生んだ上のほうの子が笙《しょう》の役をして、左大将の長男に横笛の役を命じ縁側へ置かれてあった。演奏者の茵《しとね》が皆敷かれて、その席へ院の御秘蔵の楽器が紺錦《こんにしき》の袋などから出されて配られた。明石夫人は琵琶《びわ》、紫の女王には和琴《わごん》、女御は箏《そう》の十三|絃《げん》である。宮はまだ名楽器などはお扱いにくいであろうと、平生弾いておいでになるので調子を院がお弾き試みになったのをお配らせになった。院は、
「箏《そう》の琴《こと》は絃がゆるむわけではないが、他の楽器と合わせる時に琴柱《ことじ》の場所が動きやすいものなのだから、初めからその心得でいなければならないが、女の力では十分締めることがむずかしいであろうから、やはりこれは大将に頼まなければなるまい。それに拍子を受け持っている少年たちもあまり小さくて信用のできない点もあるから」
とお笑いになりながら、
「大将にこちらへ」
とお呼び出しになるのを聞いて、夫人たちは恥ずかしく思っていた。明石夫人以外は皆院の御弟子なのであるから、院も大将が聞いて難のないようにとできばえを祈っておいでになった。女御は平生から陛下の前で他の人と合奏も仕|馴《な》れているからだいじょうぶ落ち着いた演奏はできるであろうが、和琴というものはむずかしい物でなく、きまったことがないだけ創作的の才が必要なのを、女の弾き手はもてあましはせぬか、春の絃楽は皆しっくり他に合ってゆかねばならぬものであるが、和琴がうまくいっしょになってゆかぬようなことはないかとも損な弾き手に同情もしておいでになった。
左大将は晴れがましくて、音楽会のいかなる場合に立ち合うよりも気のつかわれるふうで、きれいな直衣《のうし》を薫香《たきもの》の香のよく染《し》んだ衣服に重ねて、なおも袖《そで》をたきしめることを忘れずに整った身姿《みなり》のこの人が現われて来たころはもう日が暮れていた。感じのよい早春の黄昏《たそがれ》の空の下に梅の花は旧年に見た雪ほどたわわに咲いていた。ゆるやかな風の通り通うごとに御簾《みす》の中の薫香《たきもの》の香も梅花の匂《にお》いを助けるように吹き迷って鶯《うぐいす》を誘うかと見えた。御簾の下のほうから箏《そう》の琴《こと》のさきのほうを少しお出しになって、院が、
「失礼だがこの絃《いと》の締まりぐあいをよく見て調音をしてほしい。他人に来てもらうことのできない場合だから」
とお言いになると、大将はうやうやしく琴を受け取って、一越《いっこつ》調の音《ね》に発《はつ》の絃《いと》の標準の柱《じ》を置き全体を弾き試みることはせずにそのまま返そうとするのを院は御覧になって、
「調子をつけるだけの一弾きは気どらずにすべきだよ」
と院がお言いになった。
「今日の会に私がいささかでも音を混ぜますようなだいそれた自信は持っておりません」
大将は遠慮してこう言う。
「もっともだけれども、女だけの音楽に引きさがった、逃げたと言われるのは不名誉だろう」
院はお笑いになった。で大将は調子をかき合わせて、それだけで御簾《みす》の中へ入れた。院の御孫にあたる小さい人たちが美しい直衣《のうし》姿をして吹き合わせる笛の音はまだ幼稚ではあるが、有望な未来の思われる響きであった。かき合わせが済んでいよいよ合奏になったが、どれもおもしろく思われた中に、琵琶《びわ》はすぐれた名手であることが思われ、神さびた撥《ばち》使いで澄み切った音をたてていた。大将は和琴に特別な関心を持っていたが、それはなつかしい、柔らかな、愛嬌《あいきょう》のある爪音《つまおと》で、逆にかく時の音が珍しくはなやかで、大家のもったいらしくして弾くのに少しも劣らない派手《はで》な音は、和琴にもこうした弾き方があるかと大将の心は驚かされた。深く精進を積んだ跡がよく現われたことによって院は安心をあそばされて夫人をうれしくお思いになった。十三絃の琴は他の楽器の音の合い間合い間に繊細な響きをもたらすのが特色であって、女御の爪音《つまおと》はその中にもきわめて美しく艶《えん》に聞こえた。琴は他に比べては洗練の足らぬ芸と思われたが、お若い稽古《けいこ》盛りの年ごろの方であったから、確かな弾き方はされて、ほかの楽器と交響する音もよくて、上達されたものであると大将も思った。この人が拍子を取って歌を歌った。院も時々扇を鳴らしてお加えになるお声が昔よりもまたおもしろく思われた。少し無技巧的におなりになったようである。大将も美音の人で、夜のふけてゆくにしたがって音楽|三昧《ざんまい》の境地が作られていった。月がややおそく出るころであったから、燈籠《とうろう》が庭のそこここにともされた。院が宮の席をおのぞきになると、人よりも小柄なお姿は衣服だけが美しく重なっているように見えた。はなやかなお顔ではなくて、ただ貴族らしいお美しさが備わり、二月二十日ごろの柳の枝がわずかな芽の緑を見せているようで、鶯《うぐいす》の羽風にも乱れていくかと思われた。桜の色の細長を着ておいでになるのであるが、髪は右からも左からもこぼれかかってそれも柳の糸のようである。これこそ最上の女の姿というものであろうと院はおながめになるのであったが、女御には同じような艶《えん》な姿に今一段光る美の添って見える所があって、身のとりなしに気品のあるのは、咲きこぼれた藤《ふじ》の花が春から夏に続いて咲いているころの、他に並ぶもののない優越した朝ぼらけの趣であると院は御覧になった。この人は身ごもっていて、それがもうかなりに月が重なって悩ましいころであったから、済んだあとでは琴を前へ押しやって苦しそうに脇息《きょうそく》へよりかかっているのであるが、背の高くない身体《からだ》を少し伸ばすようにして、普通の大きさの脇息へ寄っているのが気の毒で、低いのを作り与えたい気もされて憐《あわれ》まれた。紅梅の上着の上にはらはらと髪のかかった灯《ほ》かげの姿の美しい横に、紫夫人が見えた。これは紅紫かと思われる濃い色の小袿《こうちぎ》に薄|臙脂《えんじ》の細長を重ねた裾《すそ》に余ってゆるやかにたまった髪がみごとで、大きさもいい加減な姿で、あたりがこの人の美から放射される光で満ちているような女王《にょおう》は、花にたとえて桜といってもまだあたらないほどの容色なのである。こんな人たちの中に混じって明石夫人は当然見劣りするはずであるが、そうとも思われぬだけの美容のある人で、聡明《そうめい》らしい品のよさが見えた。柳の色の厚織物の細長に下へ萌葱《もえぎ》かと思われる小袿《こうちぎ》を着て、薄物の簡単な裳《も》をつけて卑下した姿も感じがよくて侮《あな》ずらわしくは少しも見えなかった。青地の高麗錦《こまにしき》の縁《ふち》を取った敷き物の中央にもすわらずに琵琶《びわ》を抱いて、きれいに持った撥《ばち》の尖《さき》を絃《いと》の上に置いているのは、音を聞く以上に美しい感じの受けられることであって、五月《さつき》の橘《たちばな》の花も実もついた折り枝が思われた。いずれもつつましくしているらしい内のものの気配《けはい》に大将の心は惹《ひ》かれるばかりであった。紫の女王の美は昔の野分《のわき》の夕べよりもさらに加わっているに違いないと思うと、ただその一事だけで胸がとどろきやまない。女三《にょさん》の宮《みや》に対しては運命が今少し自分に親切であったなら、自身のものとしてこの方を見ることができたのであったと思うと、自身の臆病《おくびょう》さも口惜《くちお》しかった。朱雀《すざく》院からはたびたびそのお気持ちを示され、それとなく仰せになったこともあったのであるがと思いながらも、よく隙《すき》の見えることを知っていては女王に惹かれたほど心は動きもしないのであった。女王とはだれも想像ができぬほど遠い間隔のある所に置かれている大将は、その忘れがたい感情などは別として、せめて自分の持つ好意だけでも紫の女王に認めてもらうだけを望んでできないのを考えては煩悶《はんもん》しているのである。あるまじい心などはいだいていない、その思いを抑制することはできる人である。
夜がふけてゆくらしい冷ややかさが風に感ぜられて臥待月《ふしまちづき》が上り始めた。
「たよりない春の朧《おぼろ》月夜だ。秋のよさというのもまたこうした夜の音楽と虫の音がいっしょに立ち上ってゆく時にあるものだね」
と院は大将に向かってお言いになった。
「秋の明るい月夜には、音楽でも何の響きでも澄み通って聞こえますが、あまりきれいに作り合わせたような空とか、草花の露の色とかは、専念に深く音楽
前へ
次へ
全13ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
紫式部 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング