侍従は面倒な事件になりそうなのを恐れて、こんなことがあったと緑の手紙のことを書いてやった。衛門督は驚いて、いつの間にそうしたことができたのであろう、月日の重なるうちにはいろいろな秘密が外へ洩《も》れるかもしれぬと思うだけでも恐ろしくて、罪を見る目が空にできた気がしていたのに、ましてそれほど確かな証拠が院のお手にはいったということは何たる不幸であろうと恥ずかしくもったいなくすまない気がして、朝涼も夕涼もまだ少ないこのごろながらも身に冷たさのしみ渡るもののある気がして、たとえようもない悲しみを感じた。長い歳月《としつき》の間、まじめな御用の時も、遊びの催しにもお身近の者として離れず侍してきて、だれよりも多く愛顧を賜わった院の、なつかしいお優しさを思うと、無礼な者としてお憎しみを受けることになっては、自分は御前で顔の向けようもない。そうかといって、すっかりお出入りをせぬことになれば人が怪しむことであろうし、院をばさらに御不快にすることになろうと煩悶《はんもん》する衛門督は、健康もそこねてしまい、御所へ出仕もしなかった。大罪の犯人とされるわけはないが、もう自分の一生はこれでだめであるという気のすることによって、このことを予想しないわけでもなかったではないかと、あやまった大道に踏み入った最初の自分が恨めしくてならなかった。だいたい御身分相当な奥深い感じなどの見いだせなかった最初の御簾《みす》の隙間《すきま》も、しかるべきことではない。大将も軽々しいと思ったことはあの時の表情にも見えたなどと、こんなことも今さら思い合わせたりした。しいてその人から離れたいと願う心から欠点を捜すのかもしれない。どんなに貴人といっても、おおようで、気持ちの柔らかい一方な人は世間のこともわからず、侍女というものに警戒をしなければならぬこともお知りにならないで、取り返しのつかぬあやまちを御自身のためにも作り、人にも罪を犯させる結果になったと思い、衛門督の心は、宮のお気の毒なことを思いやって堪えがたい苦悶《くもん》をするのであった。
 宮が可憐《かれん》な姿で悪阻《つわり》に悩んでおいでになるのが院のお目に浮かんで、心苦しく哀れにお思われになった。良人《おっと》としての愛は消えたように思っておいでになっても、恨めしいのと並行して恋しさもおさえがたくおなりになり、六条院へおいでになった。お顔を御覧になると胸苦しくばかりおなりになる院でおありになった。祈祷《きとう》を寺々へ命じてさせてもおいでになるのである。表面のお扱いでは以前と何も変わっていない。かえって御優遇をあそばされるようにも見えるのであるが、夫婦としてお親しみになることはそれ以来断えてしまった。人目を紛らすために御同室にお寝《やす》みになりながら、院がお一人で煩悶《はんもん》をしておいでになるのを御覧になる宮のお心は苦しかった。秘密を知ったともお言いにならぬ院でおありになったが、女宮は御自身で罪人らしく萎縮《いしゅく》しておいでになるのも幼稚な御態度である。こんなふうの人であるから不祥事も起こったのであろう。貴女らしいとはいってもあまりに柔らかな性質は頼もしくないものであるとお考えになると、いろいろの人の上がお気がかりになった。女御《にょご》があまりに柔軟な様子であることは、この宮における衛門督のような恋をする男があるとすれば、その目に触れた以上精神を取り乱して大過失を引き起こすに至るかもしれぬ、女性のこうした柔らかい一方である人は、軽侮してよいという心を異性に呼ぶのか、刹那《せつな》的に不良な行為をさせてしまうものであると、院はこんなこともお思いになった。右大臣夫人がそれという世話を受ける人もなくて、幼年時代から苦労をしながら才も見識もあって、自分なども義父らしくはしながらも、恋人に擬しておさえがたい情念を内に包んでいたのを、かどだたず気がつかぬふうに退け続けて、右大臣が軽佻《けいちょう》な女房の手引きでしいて結婚を遂げた時にも、自身は単なる受難者であることを、それ以後の態度で明らかにして、親や身内の意志で成立した夫婦の形を作らせたことなどは、今思ってみてもきわめてりっぱなことであったと、玉鬘《たまかずら》のこともこのふがいない人に比べてお思われになった。深い宿縁があって夫婦になった人であるから、離婚をしようとは考えないが、品行問題で世評の立つことになれば、それにしたがって知らず知らず多少の侮蔑《ぶべつ》を自分は加えることになるであろう。あまりにも実質に伴わない尊敬をしてきたと、以前からのことを思ってもごらんになった。
 院は二条の朧月夜《おぼろづきよ》の尚侍になお心を惹《ひ》かれておいでになるのであったが、女三《にょさん》の宮《みや》の事件によって、後ろ暗い行動はすべきでないという教訓を得たようにお思いになって、その人の弱さにさえ反感に似たようなものをお覚えになった。尚侍が以前から希望していたとおりに尼になったことをお聞きになった時には、さすがに残念な気がされてすぐに手紙をお書きになった。その場合に臨んで、されてよい予報のなかったことをお恨みになる言葉がつづられてあった。

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あまの世をよそに聞かめや須磨《すま》の浦に藻塩《もしほ》垂《た》れしもたれならなくに

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人世の無常さを味わい尽くしながらも、今日まで出家を実行しえない私を、あなたはどんなに冷淡になっておいでになってもさすがに回向《えこう》の人数の中にはお入れくださるであろうと、頼みにされるところもあります。
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 などという長いお文《ふみ》であった。早くからの志であったが、六条院がお引きとめになるために、それでない表面の理由は別として、尚侍は尼になるのを躊躇《ちゅうちょ》するところがあったのでさえあるから、このお手紙を見て青春時代から今日までの二人のつながりの深さも今さらに思われて身にしむ尚侍であった。返事はもう今後書きかわすことのない終わりのものとして心をこめて書いた尚侍の手跡が美しかった。
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無常は私だけが体験から知ったものと思っておりましたが、しおくれたと仰せになりますことで、こんなにも思われます。

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あま船にいかがは思ひおくれけん明石《あかし》の浦にいさりせし君

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回向《えこう》には、この世のすぐれた方として決してあなた様を洩《も》らしはいたしません。
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 これが内容である。濃い鈍《にび》色の紙に書かれて、樒《しきみ》の枝につけてあるのは、そうした人のだれもすることであっても、達筆で書かれた字に今も十分のおもしろみがあった。この日は二条の院においでになったので、夫人にも、もう実際の恋愛などは遠く終わった相手のことであったから、院はお見せになった。
「こんなふうに侮辱されたのが残念だ。どんな目にあっても平気なように思われて恥ずかしい。恋愛的な交際ではなしに、友人として同程度の趣味を解する人で、仲よくできる異性はこの人と斎院だけが私に残されていたのだが、今はもう尼になってしまわれた。ことに斎院などは尼僧の勤めをする一方の人になっておしまいになった。多くの女性を見てきているが、高い見識をお持ちになって、しかもなつかしい匂《にお》いの備わっているような点であの方に及ぶ人はなかった。女を教育するのはむずかしいものですよ。夫婦になる宿命というものは、目に見えないもので、親の力でどうしようもないものだから、結婚するまでの女の子の教育に親は十分力を尽くすべきだと思う。私は娘を一人しか持たなくてその責任の少ないのがうれしい。まだ若くて人生のよくわからなかったころは、子の少ないことが寂しく思われもしたものですがね。まあ孫の内親王をよくお育てしておあげなさい。女御《にょご》はまだ大人になりきらないで宮廷へはいってしまったのだから、すべてがいまだに不完全なものだろうと思われる。姫宮の教育は最高の女性を作り上げる覚悟で、微瑕《びか》もない方にして、一生を御独身でお暮らしになってもあぶなげのない素養をつけたいものですね。結婚をすることになっている普通の家の娘はまた良人《おっと》さえりっぱであれば、それに助けられてゆくこともできますがね」
 などと院がお言いになると、
「りっぱなお世話はできませんでも、生きています間は姫宮のおためになりたい心でございますが、健康がこんなのではね」
 と答えて夫人は心細いふうにわが身を思い、自由に信仰生活へはいることのできた人々をうらやましく思った。
「尚侍の所は尼装束などもまだよくととのっていないことだろうから、早く私から贈りたいと思うが、袈裟《けさ》などというものはどんなふうにしてこしらえるものだろう。あなたがだれかに命じて縫わせてください。一そろいは六条の東の人にしてもらいましょう。あまりに法服らしくなっては見た感じもいやだろうから、その点を考慮して作るのですね」
 と院はお言いになった。青鈍《あおにび》色の一そろいを夫人は新尼君のために手もとで作らせた。院は御所付きの工匠をお呼び寄せになって、尼用の手道具の製作を命じたりしておいでになった。座蒲団《ざぶとん》、上敷《うわしき》、屏風《びょうぶ》、几帳《きちょう》などのこともすぐれた品々の用意をさせておいでになった。
 紫夫人の大病のために法皇の賀宴も延びて秋ということになっていたが、八月は左大将の忌月《きづき》で音楽のほうをこの人が受け持つのに不便だと思われたし、九月はまた院の太后のお崩《かく》れになった月で、それもだめ、十月にはと六条院は思っておいでになったが、女三《にょさん》の宮《みや》の御健康がすぐれないためにまた延びた。衛門督《えもんのかみ》の夫人になっておいでになる宮はその月に参入された。舅《しゅうと》の太政大臣が力を入れて豪奢《ごうしゃ》な賀宴がささげられたのである。病気で引きこもっていた衛門督もその時はじめて外出をしたのであった。しかもそのあとはまた以前にかえって、病床に親しむ督であった。女三の宮も御|煩悶《はんもん》ばかりをあそばされるせいか、月が重なるにつれてますますお身体《からだ》がお苦しいふうに見えた。院は恨めしいお気持ちはあっても、可憐《かれん》な姿をして病んでおいでになる宮を御覧になっては、どうなるのであろうと不安を覚えてお歎《なげ》きになることが多かった。祈祷《きとう》をおさせになることで御多忙でもあった。法皇も宮の御妊娠のことをお聞きになって、かわいく想像をあそばされ、逢《あ》いたく思召《おぼしめ》された。長く六条院は二条の院のほうに別れておいでになって、お訪《たず》ねになることもまれまれであると申し上げた人も以前あったことによって、御妊娠がただ事の結果でなくはないのであるまいかとふとこんなことを思召すとお胸が鳴るのでもあった。人生のことが今さら皆お恨めしくて、紫夫人の病気のころは院があちらにばかり行っておいでになったのを、もっともなこととはいえ、思いやりのないこととして聞いておいでになったが、夫人の病後も院の御訪問はまれになったというのは、その間に不祥なことが起こったのではあるまいか。宮が自発的に堕落の傾向をおとりになったのではなく、軽薄な女房の仕業《しわざ》などで不快な事件があったのではなかろうか、宮廷における男女の間は清潔な交際で終始しなければならないものであるのに、その中にさえ醜聞を作る者があるのであるからと、こんなことまでも御想像あそばされるのは、いっさいをお捨てになった御心境にもなお御子をお思いになる愛情だけは影を残しているからである。法皇が愛のこもったお手紙を宮へお書きになったのを、六条院も来ておいでになる時で拝見されたのであった。
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用事もないものですから無沙汰《ぶさた》をしているうちに月日がたつということもこの世の悲しみです。あなたが普通でない身体《からだ》になって健康もそこねているということをくわしく聞きましたが、今はどうですか。世の
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