宮中からも法皇の御所からもしばしばお見舞いの御使《みつか》いが来て、衛門督の病状を御心痛あそばされているのを見ても、両親は悲しくばかり思われた。六条院も非常に残念に思召《おぼしめ》して、たびたび懇切なお見舞いの手紙を大臣へ下された。左大将はまして仲のよい友人であったから、病床へもよく訪《たず》ねて来て、衛門督をいたましがっていた。
 法皇の御賀は二十五日になった。現在での花形の高官が重い病気をしてその一家一族の人たちが愁《うれ》いに沈んでいる時に決行されるのは寂しいことのように院はお思いになったが、月々に支障があって延びてきたことであったし、ぜひ今年じゅうにせねばならぬことでもあったから、やむをえぬことだったのである。院は姫宮の心情を哀れにお思いになっていた。かねての計画のように五十か寺での御|誦経《ずきょう》が最初にあって、法皇のおいであそばされる寺でも大日如来《だいにちにょらい》の御祈りが行なわれた。



底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
   1994(平成6)年6月15日39版発行
※このファイルは、古典総合
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