のお話の中で私を悪くお言いになったことが私をくやしくさせました。もう私は死んでいるのですから、私が悪くってもあなたはよくとりなして言ってくだすっていいではありませんか。そうお恨みしただけで、こんな身になっていますと大形《おおぎょう》な表示にもなったのです。奥様を深く恨んでいませんが、法の護《まも》りが強くて近づけないので反抗してみただけです。あなたのお声もほのかに承ることができましたからもういいのです。私の罪の軽くなるような方法を講じてください。修法、読経《どきょう》の声は私にとって苦しい焔《ほのお》になってまつわってくるだけです。尊い仏の慈悲の声に接したいのですが、それを聞くことのできないのは悲しゅうございます。中宮にもこのことをお話しくださいませ。後宮の生活をするうちに人を嫉妬《しっと》するような心を起こしてはならない、斎宮をお勤めになった間の罪を御仏《みほとけ》に許していただけるだけの善根を必ずなさい、あの世で苦しむことをよく考えなければならないとね」
 などと言うが、物怪に向かってお話しになることもきまり悪くお思いになって、物怪がまた出ぬように法の力で封じこめておいて、病夫人を他の室へお移しになった。
 紫夫人が死んだという噂《うわさ》がもう世間に伝わって弔詞《くやみ》を述べに来る人たちのあるのを不吉なことに院はお思いになった。今日の祭りの帰りの行列を見物に出ていた高官たちが、帰宅する途中でその噂を聞いて、
「たいへんなことだ。生きがいのあった幸福な女性が光を隠される日だから小雨も降り出したのだ」
 などと解釈を下す人もあった。また、
「あまりに何もかもそろった人というものは短命なものなのだ。『何をさくらに』(待てといふに散らでしとまるものならば何を桜に思ひまさまし)という歌のように、そうした人が長生きしておれば、一方で不幸に甘んじていなければならぬ人も多くできるわけだ。二品の宮が院の御|寵愛《ちょうあい》を一身にお集めになる日もこれで来るだろう。あまりにお気の毒なふうだったからね」
 などとも言う人があった。衛門督《えもんのかみ》は引きこもっていた昨日の退屈さに懲りて今日は弟の左大弁、参議などの車の奥に乗って見物に出ていた町で、人の言い合っている噂が耳にはいった時に、この人は一種変わった胸騒ぎがした。「散ればこそいとど桜はめでたけれ」(何か浮き世に久しかる
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