るうち、女御のほうから夫人へ手紙を持たせて来た使いに、病気のことを女房が伝えたために、驚いた女御から院へお知らせをしたために、胸を騒がせながら院が帰っておいでになると、夫人は苦しそうなふうで寝ていた。
「どんな気持ちですか」
 とお言いになり、手を夜着の下に入れてごらんになると非常に夫人の身体《からだ》は熱い。昨日話し合われた厄年のことも思われて、院は恐ろしく思召されるのであった。粥《かゆ》などを作って持って来たが夫人は見ることすらもいやがった。院は終日病床にお付き添いになって看護をしておいでになった。ちょっとした菓子なども口にせず起き上がらないまま幾日かたった。どうなることかと院は御心配になって祈祷《きとう》を数知らずお始めさせになった。僧を呼び寄せて加持《かじ》などもさせておいでになった。どこが特に悪いともなく夫人は非常に苦しがるのである。胸の痛みの時々起こるおりなども堪えがたそうな苦しみが見えた。いろいろな養生《ようじょう》もまじないもするがききめは見えない。重い病気をしていても時さえたてばなおる見込みのあるのは頼もしいが、この病人は心細くばかり見えるのを院は悲しがっておいでになった。もうほかのことをお考えになる余裕がないために、法皇の賀のことも中止の状態になった。法皇の御寺《みてら》からも夫人の病をねんごろにお見舞いになる御使いがたびたび来た。
 夫人の病気は同じ状態のままで二月も終わった。院は言い尽くせぬほどの心痛をしておいでになって、試みに場所を変えさせたらとお考えになって、二条の院へ病女王をお移しになった。六条院の人々は皆大|厄難《やくなん》が来たように、悲しんでいる。冷泉《れいぜい》院も御心痛あそばされた。この夫人にもしものことがあれば六条院は必ず出家を遂げられるであろうことは予想されることであったから、大将なども誠心誠意夫人の病気回復をはかるために奔走しているのであった。院が仰せられる祈祷《きとう》のほかに大将は自身の志での祈祷もさせていた。少し知覚の働く時などに夫人は、
「お願いしていますことをあなたはお拒《こば》みになるのですもの」
 と、院をお恨みした。力の及ばぬ死別にあうことよりも、生きながら自分から遠く離れて行かせるようなことを見ては、片時も生きるに堪えない気があそばされる院は、
「昔から私のほうが出家のあこがれを多く持っていながら、あな
前へ 次へ
全64ページ中29ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
紫式部 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング